絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

人生一度だけの父との喧嘩

母(享年65)が亡くなった時、父は70歳だった。父は、それから7年間…独りで暮らした。友達も親戚も近くに姉夫婦もいた。しかも、大好きな海へ…船に乗り、イカにブリに…魚を捕りに行っていたので、遠くへ嫁いだ私は余り心配していなかった。

母が亡くなった年の夏、あっちゃんのコンビニがオープンだったこともあり、正直なところ私は自分の生活の事で必死だった。


母が亡くなってからも、母の日にはカーネーションを「母の名」で送った。

しかし…ある年、「母の日のカーネーションの花が届かない」と、お叱りの電話が来た。

・・その時…父は泣いていた。

父にとって、母は生きていたのだ。自分と同じ様に娘も、母の事を『いつも想い慕っている』と言う『証』が欲しかったんだ。

自分と同じ思いの娘がいることで

寂しさに耐え、自分が強くならなければ…と、生きていく理由を感じたかったに違いない。

その想いに私は、今になって気づかされた…。

母が、蜘蛛膜下出血で倒れ、意識もなく寝ているその…ベットの側で、事もあろうに私は父と大喧嘩をした。父は私の胸ぐらを掴んで怒りを露わにしていた。

「お母さんがこうなったのは、お父さんのせいよ!」

なんて…言ってしまった…


母が亡くなって一年と3ケ月を過ぎた頃、私達三姉妹のもとに父から川柳が届いた。


12年前も、きっと私はこの川柳を見て抱いて号泣したのだろう。


改めて…今…詠んでみた。

父が私達に求めていたこと

父が伝えたかったこと

父の心の全てが…

今…「分かった」・・・

「 テーブルの

妻の写真に

あじをきく 」

私が今…

父と同じことを・・・

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