絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

人生は変えられる。

『運命は変えられないけれど人生は変えられる』という。

あっちゃんとこんなにも早く永遠の別れをすることになったのは、私の「運命」だったのか。


ならば、あっちゃんがこんなにも早く死んでしまうことは、あっちゃんの「運命」だったのか。


こんな「運命」があることを…

もっと…もっと早くに知っていたなら…私は、あっちゃんと結婚をしなかった。


夫婦になるからには、共に白髪の生えるまで・・は、一緒にいたい。 最低でも、高齢者と言われる65歳ぐらいまでは…。

いやいや!後期高齢者と言われる年齢ぐらいまでは、文句の一つも言い合いながらでも、お互いに助け合い一緒にいたかった。


それができないと分かっていたら、

2人で永く…未来が創れないと分かっていたら…そんな「運命」だと知っていたら…私は…

あっちゃんとは

結婚しなかったのに…。


そうとも知らずに…私はあっちゃんと結婚した。幸せになれると…幸せになろうと…その幸せは永遠に続くであろうと思ったから。

これが私の「運命」なのだろう。


私の幸せは永くは続かなかった。

あっちゃんと死別する「運命」は 逃れることができないものだったのだろう。

でも、「人生」の何処かでその「運命」を変えられるだけの力が生じていたら…「人生」を…変えることができたのではないだろうか。


悔やんでも仕方のないことだけれど…私は…やっぱり・・あっちゃんと一緒にいたかった。

例え短い時間であると分かっていても、あっちゃんと一緒にいることを選んだに違いない。これが変えられなかった私の「人生」であり、これがやっぱり私の「運命」なのだ。

これから待ち受けている「運命」がどのようなものかは分からない。

でも、それが分かるまでの「人生」をどう歩むかは、私にかかっている。


私の「運命」は、未亡人になることであった。

ならば…未亡人としての「人生」は、私なりに変えることができるはずだ。


想定外の「人生」を今歩み始めたばかりだ。

実は「人生」を変える方法は分かっている。

ただ決心が付かないだけだ。だけど、三回忌法要を済ませたら…

あっちゃんに逢えるその日まで、今よりは少しでも落ち着いて、心穏やかに過ごすためにも私は、行動に出ようと思っている。


私の「人生」だから・・・



2年前の今日…あっちゃんは吐血して緊急入院をした。この日から…私の「人生」は狂ってしまった。早く抜け出したいのに…まだまだ・・

流されるように「人生」を歩んでいる。

×

非ログインユーザーとして返信する