絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

自分の魂を歓喜させるシード

新しいことにチャレンジすることはエネルギーがいりますし、時には悩んだり苦しんだりすることもあります。でも、その先には大いなるギフト(贈り物)が待っています。その贈り物とは"魂の歓喜"です。


誰もが心の中に、自分の魂を歓喜させるシード(種)を育んでいます。ただその存在に気づいていないだけ、あるいは気づこうとしていないだけです。


まずは自分の心に「私の魂は何をすれば歓喜するのか」と問いかけてシードの存在に気づくことです。そして、やりたいことのシードを見つけたら、毎日コツコツと水やりをしていくことです。


すると、やがて芽吹き、魂の歓喜がもたらされるようになります。ちょっとしたきっかけで始めたことが、人生最大の楽しみになります 。


片岡鶴太郎さん「定年後に遊ぶのでは遅すぎる」の言葉だ。


私とは違う。


まず、多彩な能力に恵まれ成功を収めたこれまでの実績。次に周知されている鶴太郎さん自身の自分力と信頼。そしてそんな鶴太郎さんを見守る家族の優しい支えが自身の大きな原動力になっていること。最後に経済的に自分の自由を楽しめる余裕があること。


勿論…1番は、自分の…自分自身があらゆる事を学んだり楽しんだり…活用したいと思う「心の吸引力」の強さの違いであろう。


私には…今まだその…吸引力がない。あっちゃんの死後、その哀しみや苦しみや居た堪れない思いを吐き出すばかりで…何かを受け入れようとか、やってみようとか…そう思う心がない。


その上今の…この現状を人のせいばかりにしてきたようで…。私が1番可哀想だと…悲劇のヒロインを装って、泣き叫んでいようが、何もせず座って時間を過ごそうが…それは仕方がない事なんだ…なんて…この状況に甘えて…。


「今は仕方ない…」かなって…。


じゃあ…ずっとずっと…このままでいいのか…


今すぐあっちゃんのところへ逝くのならいいだろう。でも…まだ娘のためにしてやりたいことがある。


「遺された方の哀しみを1番知っているのはお母さんやろ。」っと、先日言われたばかりだ。


もう一度起き上がってみよう。


何度倒れそうになっても起き上がろうとする余力はまだ、有難いことに残っているようない気がする。


そして「自分の魂を歓喜させるシード」を思い出してみよう。かつては沢山あった・・・はずだから…。

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