話せる時が死を受け入れる時…
心の何処かで…
一人になりたい…と・・
誰も…私を知る人がいない街へ行きたいと・・そして、誰にも、
哀しみを背負って生きていることを悟られまいと・・
生きて来たはずなのに…。
心の何処かで…求めていた。
この街で、
気心が許せるような仲間ができたら、私の事を話してみよう…。あっちゃんのことも、家から飛び出して来たことも・・
何もかも…話してみよう・・
泣きながら…話してみよう・・
みんな…みんな吐き出してしまおう・・なんて…
そんな日が来ることを…心の何処かで楽しみにしていた。
自分から…この苦しいほどの「哀しみ」を話せる日が来ることを…。待っていた・・。
だけど…この頃・・違うような気がしてきた。
哀し悔しい思いは、けして共有することはないのではあるまいか。
同じ死別を経験している人とでさえも…「死別したのは誰なのか・・」対象によっても違う。
その人への想いの大きさ、
過ごした時間や、
築き上げてきたもの…よっても…
そして、
今、生きている環境によって…
随分違うのだろう…。
話すことで楽になる場合も確かにあるだろう。
だけど、今はまだ、
話すだけ惨めになりそうな気がした。
だから、やっぱりこれまでのように…元気いっぱいの私を演じて生きよう。
いつか…誰かが、
深い哀しみを背負って、私のところへ話しに来ることがあったなら、私は、共に涙を流しながら聴こう!
そして、
その時…
その時こそ…
…私の思いを話す時だ。