絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

最期の二人だけの大晦日

私の家は、病院から40分の所にある。


同じ敷地内に義父母が暮らしている家がある。あっちゃんは、長男なのだ。


義父母には、帰ってもらった。

29日からの緊急入院騒ぎで、義父母も相当つかれているにもかかわらず、今日は、息子のたった24時間の死の宣告をうけ、さらに、その命の期限を「延命処置をしない」という決断で、私達で決めてしまったんだから。その疲れは、目にみえて分かった。


病室は、個室だけど狭い。


しばらく、姉と妹と娘に一緒にいてもらった。


妹は、あっちゃんの足をさすりながら、話しかける。


姉は、顔色をうかがいながら・・・


娘は、手をさすりながら・・・・

あっちゃんは、気持ちよさそうにされるがまま・・・


12月31日と言えば、我が家は、毎年恒例でダウンタウンの「笑ってはいけない」テレビを見て過ごす。


世間は、新しい年を、美味しい食べ物を囲んで、年越しそばでもすすりながら過ごしているんだろうなー。


そう言えば・・・・何年ぶりだろう。


あっちゃんと、大晦日の日に、一緒にテレビを見て過ごすのは。

去年もその前も・・・その前の年も・・あっちゃんは、家にいなかった。


年を越してから帰って来て、お風呂にも入らず布団にもぐる。


ゆっくりテレビを見て、年越しそば食べて・・・なんて、コンビニ始めてから全くしていないことに改めて気付かされた。


娘は、東京の大学に行った。就職も東京でした。学生中は、バイトがあるから・・・・と。就職してからは仕事が忙しいからと、ここ5、6年お正月を、義父母と私達夫婦とで過ごしていた。


今年は、正月を迎えられない。


でも、今年は、賑やかな大晦日になっていた。


あっちゃんは、姉や妹まで来たことを不思議に思わなかったのだろうか。


急に。大晦日に。来ることを。



夜の11時を過ぎた頃、病院の近くにあるビジネスホテルを予約し、姉と妹そして、娘に泊まってもらう事にした。


歩いても、10分かからないホテルにいてもらった。



だって、この日、あっちゃんと私の最期の日になるはずだから・・・・。


もうじき、「笑ってはいけない」テレビが終わる。


全く笑わなかった。笑えないよね。


このテレビが終わる頃、

あっちゃん⁉️

どうなるんだろう・・・・

急に苦しみだすの⁇


苦しまないでほしい・・・・


それとも、また、吐血・・・

それは、嫌!!

私は、ベットの傍に椅子を置き、あっちゃんの手を握ったり、顔をさすってみたり、足を揉んでやったり、あっちこっち触った。


生きていることを確かめるように。


彼の温かさを覚えておくために。


そして、何より、

優しくしてあげられなかたことを、悔やみながら。


「今になって・・・・」

「遅いよね。」


「ごめんね。」・・・・・


泣きながら・・・謝りながら・・・


あっちゃんとの大切な時間を過ごした。

あっちゃんと、たわいも無い話をした。

孫の事。コンビニの事。


「幸せだった」


「おぅ」


「ありがとう」


何度も言った。


ごまかしながら・・・・・・泣いた。泣いた。


あっちゃんは、おかしいなーって、思わなかったのかなあ⁇



いつものいびき・・・・が聞こえる。


嬉しかった。


あっちゃんが、いびきをかいて寝ていることが、何故かとても、とても嬉しくて嬉しくて・・・・・泣いた。後から後から・・・涙が止めどもなく流れた。


規則正しく息をしている。


確かに、確かに、生きている・・・・


「あっちゃん❗️だいすき❗️」


「あっちゃん❗️ありがとう❗️生きて

いてくれてありがとう❗️」



気がつけば・・・・2014年が終わってた。


2015年元旦


朝から、皆が集まった。


あっちゃん、食事もしていないのに凄く元気。


あれっ⁉️


あっちゃんの友達一号(尿袋)も大量😊😊😊



でも、誰の口からも出てこない。


「あけましておめでとう」



1日が終わった。


24時間は、とっくに過ぎていた・・・

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