絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

人生半分

多分転職を決意し、仕事を辞めた年の初夏だったと思う。


あっちゃんがカラオケボックスに連れて行ってくれた。


自称郷ひろみの「あっちゃん」に、

松田聖子の「私」

それから、スピードHiro「娘」


歌って・・・踊って・・・大騒ぎ!


そろそろ歌も終わりに近づいた頃、あっちゃんがマイクを持って言った。


「仕事を辞めてすまない。

『長い人生の中の・・ほんのひと休み』と言って、受け入れてくれた事に感謝してる」・・・・って。

そして、用意していたかのように、湯原昌幸の「人生半分」という曲を歌った。

熱唱していた。

唄いながら

泣いているように見えた。

初めて聴く曲だった。


彼を見て、

私も泣いた。


「人生半分」・・・・

あっちゃんと一緒に過ごした23日間の闘病生活。肝性脳症と言う症状が起こり悩まされた。

肝性脳症には、5段階の症状があった。

①睡眠リズムの逆転・周囲に対する無関心

②周囲を正しく認識する力や計算、書くことが難しくなり、不規則な震えが起こることがある。

③ほとんど眠った状態。しかし、外的刺激に対しては反応する。

④完全に意識を消失する。痛みに対しては反応する。

⑤すべての刺激に対して反応しなくなる。


④⑤段階の症状までいくと、あっちゃんの動かない手を握り、胸に手を当て赤ちゃんを寝かしつけるようにリズムを取り・・・・・・・・何度も聞かせた。

「歌って・・・」


「早く、目を開けて・・・」

目覚めることだけを信じて。

アミノレバンが効いてくると③の段階に入り、目は閉じたままだけど曲に合わせて頭を動かす。そして、歌う。(歌にはならなかったけど、歌ってた。)

「人生半分」と大好きな「矢沢永吉の歌」を・・・・・

息を引き取るその時まで

病室で流した。

硬く閉ざした瞼

でも、しっかり聴こえていた。


人生半分・・・・

これから二人で残りの半分を・・

生きるはずだった・・・


一人では・・・・

あと半分も生きられない。


私の部屋では、今も流れている。


「人生半分」

「長い、長ーい人生の

ほんのひと休み


ゆっくりしいや!」

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