絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

近づけない心

家に帰れば一人・・ ・・・だが、


スープが冷めない距離よりも、もっと近くにあっちゃんの両親が住んでいる。

あっちゃんが生きていた頃は・・

夕飯だけは皆で食べていた。(義母が食事の用意をしてくれた。)

共働きだったし、私の帰宅時間が遅かったので、とても有り難かった。

義父母にとって娘は、「たった一人の孫」だ。

家族揃っての夕食は、賑やかで、義父もあっちゃんもお酒をよく飲んだ。「休肝日」なんて全くなく、毎日2人で美味しそうに飲んでいた。(同じように飲んでいるのに、義父の肝臓は、元気そのもの・・・あっちゃんの肝臓は、いつから悲鳴を上げていたんだろう。)


しかし、あっちゃんがコンビニを始めてからは、勤務の時間もまちまちだし、食事時間が合わないので、その回数もしだいに減っていった。

まして、娘が進学のために家を離れてからは、食事はもちろん一緒に時間を過ごすことさえなくなっていった。

家は近くにあるのだが、なかなか・・・とうとう、今日の今日まで、心の距離が縮まることはなかった。多分私が、多重人格者だから。(6月27日のブログに掲載)


ただ・・・・、

あっちゃんが亡くなってからしばらくは、お互いの寂しさを埋めるためか毎日夕飯を一緒にした。


でも、やっぱり娘が嫁ぎ先に帰るとそれもすぐになくなった。


義父母は、2人で・・・・

私は、ひとりで・・・・

寂しいけれど、その方が楽だった。

私にとって、夫の実家は、「夫か娘を介しての場所」でしかなかった。


あっちゃんが永遠に居なくなった今、・・・

この場所にいる意味がないと考えるようになっていた。

あっちゃんが居るから、「ここは、私の居場所」だったし、あっちゃんが居るから、「この家の「嫁」」でもあった。

あっちゃんが居たから・・・・

そうだった。

でも、もうあっちゃんはいない。

ここには、

愛する人は誰もいない。

だから・・・やっぱり

愛する人が居る場所へ行こう。

裁判が終わったら・・・・・。

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