絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

月命日に重なる想い「お母さん」

「お母さんは、絶対に大丈夫や!

人間・・・

そんなに簡単に死ねない!」


暗い高速道路を猛スピードで走る車の中で交わしたあっちゃんとの会話だった。


13年前の6月22日、午前2時過ぎ、けたたましく鳴る電話の音で飛び起きた。時間的にも、ただ事ではないだろうと察した。

受話器の向こうから聞こえてきたのは、当時高校生だった姪の悲痛な声だった。


「おばあちゃんが倒れた。」


直ぐに、車に乗って駆けつけようとした私を止めたのは、あっちゃんだった。

数分後・・・

身体が震えて、感情がバラバラになっている私の代わりにあっちゃんが、ハンドルを握って車を走らせていた。

真っ暗で何も見えなかったけれどあっちゃんが私の横にいた。

私は、ただ・・ただ両手を合わせ、

「お母さん!大丈夫よね。」

「お母さん!死なないよね。」・・

独り言・・言ったり・・声に出して泣いたり・・「お願いします」と、手を合わせて世界中にいる神様皆にお願いしたり・・・

「お母さんは?」と、

メールを度々送った、

すると、姉から、

「大丈夫よ。お母さんは、貴方が来るのを待ってるよ。」

(そんな現状が全く分からないメールばかり返って来た)


動揺させないために、私を気遣ってのメールだった。


高速道路を走りながら、日の出をあっちゃんと2人で見た。

その時だったと思う。


「お母さんは、大丈夫!人間・・・

そんなに簡単に死なないから。」と言った。


約6時間かけて着いた病院の玄関には、姉と姪っ子2人が並んで、私が来るのを待っていてくれた。


その三人のうちの誰かが、私を見つけると、大きく両手でバツを作って見せた。

愕然とした。

生まれて初めて感じる「絶望」だった。

体中の力が無くなり、その時、私は「本当の哀しみ」を知った。

何もかもが崩れ堕ちたような感覚だった。

それから母は、人口呼吸器を付けたまま私たちと朝から晩まで、ずっと一緒に過ごした。

何も喋らないし、目も開けないけれど、私たちが沢山・・沢山・・話をした。歌って・・・体中を撫でて・・もう一度目覚めてくれることを祈った。


しかし、一週間後、母は眠るように逝ってしまった。

私が一番悲しかったのは、

もう、

「お母さん・・!」って、呼べないことだった。呼べる人が居なくなったことだった。

「お母さん」って言う言葉が大好きだった。

「お母さん」って、そこに「お母さん」がいなくても温かくなる言葉だったから。

「お母さん」って言うだけで、慰められ、元気になったから。

しばらくは、車の中で、

「お母さん・・お母さん」って何度も連呼して泣いた。


「お母さん」が亡くなった。


蜘蛛膜下出血だった。


今、私は、あの時と全く同じことをしている。

「あっちゃん・・あっちゃん」って、何度も連呼して泣いている。


母が亡くなった時は、車の中で大泣きして家に帰ると、あっちゃんがいてくれた。


でも、今は、

誰もいない。

泣いて帰って来ても、私に微笑みかけてくれる人がいない。


だから・・・尚更・・哀しい。

言ったよね。

「人間は、そんなに簡単に死ねない」って。

「う そ つ き」

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