絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

「そんな人」の奧さんで良かった。

「そんな…人。」は、

「そんな…奥さん。」が、世界一好きだったのではないでしょうか。

最期に手を握って見送ってもらえる以上の幸せがありますでしょうか。


「そんな…人。」

が、そんな…人になったのは、いつもそばにいてくれた人のお陰では、ないでしょうか。


そんな…人が、今、望んでいることは、世界一好きな人が、いつも笑って幸せに暮らしていってくれることではないでしょうか。

私だったら、そうです。

妹から届いたメッセージだった。

何度も、何度も読んだ。


「そんな人が、そんな人になったのは・・・」・・・。

拭っても・拭っても・・・涙がこぼれ落ちた。


そうなのだろうか。

そうであって欲しい・・・


あっちゃんが、昏睡状態に入ったのが、今年の1月9日だった。

その前日、約10日間の絶食から解放され喜んで食事をした。回復の兆しだと皆で心から喜んだ。


しかし、喜んだのも束の間、症状が一転した。徐々に意識が無くなっていった。(肝性脳症)

主治医は、タンパク質がいけなかっただとか、食事はまだ早すぎただとか・・・訳の分からないことを言っていた。

それから、1週間あっちゃんは、幻と現実の世界をさまよっていた。


意識が回復した、1月15日。


彼が話してくれた。

「白い光の中をずっと・・・ずっと歩いていた。白い封筒に入ったお布施を持って歩いていた。

南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏と、唱えながら。

すると、そこに人が立っていた。

南無阿弥陀仏と、言いながら、その人に、持っていたお布施を渡した。


すると、その人は、その白い封筒を受け取るなり、その場で、ビリビリに破って捨てた。

お布施の入った封筒をビリビリに破ったのは、義妹だった。

その後、何故か目が覚めた」・・


と話した。


あっちゃんを死の淵から、一度助けてくれたのは、私の妹だった。


「世界一好きな人が笑って生活している事」を望んでいる。と、妹は言う。きっと、きっと・・・そうだろうと思う。

「笑って暮らす・・」か・・・

昔はあんなに簡単な事だったのに。


いつからか、笑うことより、泣くことの方が簡単に出来るようになってしまった。

泣いていた方が、

泣いて・・・泣いて・泣いて

叫んでいる方が・・・辛いけれど

楽だった・・・?!


泣くことで・・・

諦めようとしていた。

いろいろな事を・・・

無くした

沢山の大切なものを。

まだ、登らなければならない階段がある。

越えなければならない壁がある。

だから・・もう少し待って・・。

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