絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

卒園するあなた達へ

 学園の子ども達も、長い春休みに入っています。

 この3月卒園する高3の利用者は5人います。

 

 3月10日は支援学校の卒業証書授与式でした。

 3月27日は、学園でお別れ会があります。十代のほとんどをこの学園で過ごした子ども達がほとんどです。

 

 4人の子ども達は、卒業後の移行先が決まっています。施設入所で、そこで生活訓練や就労移行事業のサポートを受けることになります。

 しかし支援学校を卒業しても、学園の中にある成人ユニットに残る利用者もいます。全体的にみてそんな利用者の方が多いかもしれません。

 次への移行先がないのです。受け入れ先がないのです。


 私の力ではどうすることもできません。

 

 周りの人の力を借りながら、一つ一つできることを増やし、自分の得意なこと好きなこと夢中になれるものを見つけて…

 楽しみながら・・・過ごしてほしいです。 


 

 私だって…同じです!!

たった…75分

 大阪が好きな主人と年に3回は、車を飛ばして…

「行こうかっ!」って…

 大阪に遊びに行きました。


 今思えば…


 始めはずっと主人が運転していました。私はその隣りで飲んだり食べたり喋ったり…。

 主人は永ちゃんやサザンの音楽をかけ、口ずさみ…軽快に運転していました。


 しかし…いつの頃からか・・・


 私がハンドルを握る時間が多くなり、いつしか私が運転するようになっていました。きっとその頃から主人の体は…肝臓は急激に悪くなっていたのだと思います。


 しかし、大阪へ着くと!

 元気!元気!で…。


 ホテルへチェックインすると直ぐに目的のブランド店へ向かいました。その後は暴飲暴食(笑)。


 次の日は決まって吉本新喜劇鑑賞。

 恥ずかしいほど大声で笑って…


 温泉に行って食べて飲んで…

 大体3泊4日の息抜き旅を娘と三人で楽しんだものでした。


 そんな大阪へ今日行って来ました。


 娘家族の住むマンションを見に行きました。たった1時間15分の大阪滞在でしたが。


 主人が生きていたら言ったと思います。

 「近くにマンション借りて住もう!」って…。


 3月21日引っ越すそうです。


 私はしばらく一人でこのままこの場所で過ごします。

新婚生活 part3

 今日から…

 2年半ぶりに一緒にいることになります。


 「しばらく家(実家)には帰られないから…(大阪へ引っ越す為)一緒に帰ろっ…」と・・・いうことで…

 娘となのちゃんとゆりちゃんと家に帰りました。


 2時間高速飛ばして…。

 

 義母は、やっぱり…沢山料理を作って待っていてくれました。私の為ではありません。娘の為…孫の為です。

 それでも、美味しくてお腹一杯食べました。


 食事の途中で…

「今日、あっちゃんを連れて行きます。(納骨は済ませてあるが、お墓に入りきれなかった遺骨を手元供養していた。)コロナウィルスが落ち着く頃京都の大谷本廟に納めに行こうと思います。」と…。

 義父母はうなずき受け入れてくれました。



 そして、


 今、私の小さなアパートにいます。

 あっちゃんが…。


 あっちゃんを連れて来ました。


 しばらく二人で暮らしましょう。


 「行ってきまーす。」…って…。