絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

あっちゃんはきっとここに居る。

「ゴースト」(洋画)という映画で、突然死んでしまったサム(主人公男性)は、

愛する人へ伝えることができない

愛の大きさを・・・

真実を・・・

現実を・・

必死に伝えようとした。

見えない自分の存在を分からせるために、物を動かしてみたり、人(霊媒師)の力を借りてみたり・・サムは、死んでしまってからも、愛する人の傍にいて、愛する人を守り、自分の愛を伝えた。


あっちゃんは、私に沢山伝えたいことがあるだろうと思う。

真実を伝えたかっただろうと思う。

自分の体のこと

コンビニのこと

借金のこと

これからのこと・・

でも、何にも言わずに・・・

辛い、悲しいことは、全く口にも出さずに・・

一人、自分の胸の中だけにしまって・・・逝ってしまった。


ならば、今、

どうにかして伝えてよ!


姿はなくても、

あっちゃんの存在を感じさせてよ!

もう!一人は嫌なんだから・・!


時々・・

本当に時々・・

あっちゃんを感じることがある。

夜、眠りにつく頃、あっちゃんの足音がすることが・・・。

ドアを閉めるような音も。

コップに水を注ぐ音が・・。

戸締りは完璧なはずなのに、風に乗って香水の匂いが香ってくることも・・・。


聞こえそうで聞こえない。

あっちゃんの声のような吐息も。


今、必死に、サムみたいに、

私に伝える術を修行しているのかもしれない。


私の寝室のドアは、

いつも開けっ放し。

家の中のあっちゃんの音を

聞くために・・・・

取り返しのつかない大失敗

私は、あっちゃんが美味しそうにお酒を飲む姿を見るのがとても好きだった。


だから、晩御飯には必ずお酒のおつまみを一品か二品添えた。

まずは、ビールから始まって、日本酒か焼酎を飲んだ。

美味しそうに飲んだ。

飲んでも表情は全く変わらなかった。普段から陽気な人だけど、飲むと益々明るくなって・・

冗談言ったり・・・

ふざけてみたり・・

いい・・お酒だった。

一緒にいて楽しくなるお酒だった。

「ただいまー。」

仕事から帰って、お風呂場へ直行。

お風呂場からは、時々鼻歌が聞こえてきた。

一日の楽しみ!

毎日を生きるための活力源だったのだろう。


しかし・・・

そんな・・極普通の晩御飯時のささやかな安らぎを感じる団欒が、いとも簡単に壊れてしまう時が来る。

コンビニ経営だ。

不規則な勤務時間。三度の食事の時刻を固定することも困難になった。(上手く経営されている店舗はもちろんあります。)


娘が大学進学で家を離れると、二人で向かい合って食事をすることも少なくなった。

あの鼻歌も、夜中に帰って来て入る風呂場じゃ歌えない。


全てが崩れていくように、あっちゃんの身体も壊れていった。


働いても働いても・・

私達が受け取れる金額は、決まっていた。(受取額が減る事もしばしばあった。)

体も心も・・・・全部、

みるみる・・・壊れていった。


いつしか、あっちゃんは、陽気なお酒が飲めなくなっていった。

夜中に、眠るために、疲れた体を休めるためだけに・・水のように飲むようになっていたのだろう。


膨れる身体・・

大きなお腹・・・

ざらざらになっていく肌・・

肩から胸にかけて肌の色の変色


顔まで黄疸が出始めて・・・

目の玉まで・・・


肝臓の数値が悪くなると入院した。5、6回入院しただろうか。

入院した時から、

私との間では「禁酒」の約束はずっと続いていた。

・・・にも、関わらず、

あっちゃんが帰って来るのは、大体深夜。私が眠りについた頃、家に帰り着き一人で寂しく飲んでいたのだろう。

隠れるように・・・

見つからないように・・

「一日ビール一本と焼酎一杯ね。

月曜日と木曜日は、休肝日ね。」


もっと厳しく管理すればよかった。

徹底的にやめさせればよかった。

お酒にしても・・・

コンビニ経営にしても・・・

あの可愛い笑顔に負けちゃった!

「ありがとう」って言いたい。

孤独だけど・・・孤立ではないと思っていた。

でも・・・本当は完全に


孤立していた・・。

以前書いた文章を紐解いてみた。

あっちゃんが他界して5ヶ月を過ぎた頃・・私は、今までに感じたことがない孤独感を感じていたようだ。

今は、「孤独」であることが私に与えられた罰でもあり、運命なんだと諦めもついた。

ただ・・・、

それは「孤独」であって「孤立」ではないと思っていたからだ。

しかし、間違っていた。


私は確かに「孤立」していた。

この世の中から、今までの穏やかな人生の流れから取り残され、はじき飛ばされていた。


以前の文章にこんなフレーズがあった。


『 突然! 心が乱れる。

感情の縺れ・・と言うべきか。

感情の起伏が激しい。

あっちゃんの事を思い出すと、私の心のみなが「愛しい・恋しい・懐かしい」思いに占領される。


でも、少し経つと、心の中が空っぽになり虚しくなって・・・。

誰も分かってはくれないだろう。

私の生活は、姉や妹・・・全ての人と違ってしまったのではないだろうか。

このまま、生きていけるのか。と、いった「孤立感、疎外感」を感じてしまう。

すると、急に何もかもやる気がしなくなって塞ぎ込んでしまう。やっぱり私は病気かな。と、考えてしまう瞬間です。』

・・・・・と。


確かに、私の心のみなを分かる人はいなかった。

確かに、人と話さなくなった。

確かに、みんなと随分違ってきた。楽しい計画も、クリスマスもお正月も必要なくなった。

あっちゃんと一緒の未来が消えた。


私は完全に「孤立」した。


もしかしたら・・・

その「孤立」は、私自身が創ってしまったのかもしれない。

取り残されたのではなくて、自らその場に立ち止まってしまったのかも。

はじき飛ばされたのではなく、自分から逆らって、違う波に乗っていったのかも。

高く厚い壁を作り、自ら「孤立」を望んだのかもしれない。


いずれにせよ・・・


大勢の人達からも・・・

笑いあえる時からも・・・

誰もが持っている未来からも・・

私は完全に「孤立」した。



先生は、子どもによくこう言う。

「相手の立場になって考えて行動しなさい。自分だったら、そんな時どんな気持ちになる?」と、子どもに詰め寄り返答を求めようとする。


分かる訳!ないじゃない!

相手の気持ちなんて!


分かるはずがない・・・。

でもきっと 、


きっと・・・

私も言うだろうな。

キラキラした目を持った子ども達に



相手の気持ちに寄り添ってごらん!

100%理解出来なくても、話している人が涙を流したならば、その涙を見て、同じように涙が流れた時、きっと、 話をした人は、貴方に

「ありがとう」と言うよ。

少しでも分かってくれて

「ありがとう」って。