絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

どこにいても…どんな時も…

 悩みを直ぐに口にして相談出来る相手は、親でも親友でも姉妹でもなく…主人だった。

 

 でも…主人は違っていた。


 私には弱音一つ吐いたことがない。

 悩みなんて…あったのだろうか?


 あったよね! 

 

 私が相手だから…。

 言えなかったのだろう…。


 経営の為の資金繰りも…自分の崩れゆく体のことも・・

 何故⁈私に話さなかったのだろう…と、いつも…辿り着くのはその疑問で…悩まされる。


 もっと何か出来たことがあったはずだ。それができたとしたら…入院して23日で逝ってしまうようなことはなかったかもしれない…。

 

 私は、主人の相談相手にもなれなかったが…私はいつも主人を頼りにしていた。

 これから、そう!そう!

 ヒビの入ったフロントガラスの事もそうだし、義父母、義弟の事、誰も住まなくなる家の事!

 

 問題山積!


 なんて…旅先でも・・・

 移動中でも…考えてしまう。

バタバタ出発!

 久しぶりのプチ旅行は、姪の住む神奈川県にした。

 娘と孫(娘婿はお留守番)とで、行きは新幹線、帰りは飛行機を予約した。


 旅行はその準備が楽しい。

 

 娘は、「 姉と慕う従姉妹」と会ってお喋りしたり、同じ年の子どもを一緒に遊ばせることを楽しみにしていた。

 私は、姉と会うことと、美味しい食事ができるであろうこと、そして大好きな飛行機に2年ぶりに乗れる事が嬉しくて…楽しみにした。


 そして何より…

 娘や孫の嬉しそうな顔を見るのが何よりだった。


 結婚してからも、主人とよく旅行した。そのほとんどが沖縄と大阪だった。もちろん娘も一緒に…。


 二人だけの旅行と言えば、新婚旅行と結婚した年に私の実家へ行ったことぐらいだろう。

 15,6年前、コンビニを経営するにあたって研修が行われた。その帰りに二人で横浜や鎌倉、伊勢神宮…を旅行した。

 それが二人だけの旅行の最期だったかもしれない。


 これからいくらでも二人で…

 歳に似合った旅ができるはずだった。

 主人が還暦を迎える年には、新婚旅行で行ったハワイへ、同じホテルを予約して行こう…と約束していたが・・


 何もかも…消えてしまった…。


 さあ!

 いろいろ悩んでも、出来もしないことをくよくよ考えても仕方がない!

 

 今を楽しんでくるか!

美しいものを「美しい」と感じる心

 クリスマスツリーに、

 イルミネーション…

 私が生きている世界は今、1年のうちで最も幸せ色に包まれようとしている。

 しかし、この時期…が、私は…一年のうちで1番嫌いだ。


 思い出したくもない… ことが・・・

 見たくもない地獄絵図が・・・

 できれば記憶から失くしてしまいたい…あの時の・・・あの吐きたくなるような感情が甦ってきてしまう…。

 

 あっちゃんが亡くなってから、

 特に…この時期が来ると、

 自然と目を閉じ…

 耳を塞ぐようになった。

 心が、輝かしくて賑やかなこの時期の街の装いを拒否しているようだ。

 

 幸せなんて…

 幸せ色の時間なんて…

 あの日以降・・・なくなってしまった。

 だから、みんなが笑顔で見ている華やかな温かい光のイルミネーションは…、

 私にしてみれば、

 綺麗だけど…哀しくて冷たい光にしか見えない。


 また…一年が終わる。


 この世で…あっちゃんを亡くして…なんとか4年間生きて来た。

 もう…4年も…。

 居場所や仕事を変えて、可愛い孫にも出会い…自分の周辺は大きく変化したのに…


 私の心は4年前のまま…。

 

 1年、1年…ゆっくり上り始めたはずの階段だけど…私は「私の心」を絶望の底に置いたまま進んでしまったようだ。

 

 ただ何となく…

 生きてきたように思う。夢も希望も…生活や仕事に対する向上心も持たずに。

 けして自ら望んでそうしているのではない。悲しいかな!力が湧いてこないのだから仕方ない…。

 

 いつになったら…

 あの美しいイルミネーションの中で、上を見上げて微笑む事ができるのだろうか…と思う。

  

 そんな日が来ることを…

 やっぱり望んでいる私は…ここにいるのに…。