絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

家族になれなかった私

人が大好きで…

フレンドリーなあっちゃんとは違って、私は人の前に出ると直ぐにベールを羽織いました。


もちろん!義父母の前でもそうでした。

その関係が、今も…続いていまして…。

「もっと甘えてくれればいいのに…」と、義母が色々な人に言っているようで、私は、人伝てに聞くことが今でもあります。


私は、私なりに甘えてきたと思うのです。私はずっと働いて来ましたから、娘の学校や習い事の送迎が保育所に通っていた1歳10ヶ月の時から高校を卒業するまで、ほとんどが義父母でした。


それだけで…十分です。

本当に感謝してします。

でも…それだけ・・・なんです。


残念なのです。

一緒にあっちゃんのこと…泣いて、本音で語り合いたいのに…それが、絶対に出来ません。

義父母とは話せないのです。

「あっちゃんの話」ができないのです。


そうなると…私にとっては…


気になりながらも気持ちが離れていきます。


結局…お互いに近づけないまま終わってしまった…。


もっと甘えてくれればいいのに…

エネルギーは「ゼロ」

新しいことを始めるって…こんなにもエネルギーがいったんだ!

休みの度に微熱が出て…

頭も体も重くてだらしい。


しかし…窓の外を見上げれば・・

空は、青く澄み切っていて、何処からともなく…

聴こえてきそうな・・・

さくら♩ さく〜ら♬の

世間の声を

遠くに…聞いて過ごした。

休日は、ゴロゴロ!ゴロゴロ。身体が全く動かなかった。そう…していたら、いつのまにか葉桜になってしまってて…。


こんなにしんどかったかなぁ?

実は、4月から勤務地が変わった。

通勤時間が35分〜45分(時間帯によって)になった。今までの4倍〜5倍はきつい。

おまけに、学園が来年度から完全統合の為、私が支援する利用者さんも学齢児だけではなくなった。

学園には、成人された利用者さんが全体の40%を占め次の移行先も見つからず、ずっと育った学園の中で今でも生活している状況である。


そこへ4月1日から勤務になった。


言葉を発しない利用者さんも多いこと…

生活全般に生活介護が必要な利用者さんが多いこと…


初めての事が多くて…


1日の仕事が終わると、誰とも話ができないほど、体も心も…疲れた。


目を開くのも、息をする事さえもめんどくさいほど…本当に…疲れた。

新しいことに挑戦するって…

もっとワクワクしていたのに・・・

新しいことが始まる…って、もっと嬉しかったのに…。


もう…そんな力がなくなっていた。


約2年前、

新しい生活の場をここに決め、2人で暮らした家から出てきた時は、何でもできそうで…。何でも挑戦したくて…そんな気持ちだったけれど。


今はもう…何かを始めるエネルギーは、いつのまにか…底をついてしまっていた。


0になっていた。


疲れた…

自分に優しく…

私が、今こうしている瞬間も、はっきりと形に現れ存在する顕在意識「理性的なもの」と、表には現れない潜在意識(無意識)「本能的なもの」によってコントロールされ生きているのだとすれば…。


人は哀しくとも…

「理性的に…」

いつ…何時でも泣いていいものではなく…、ましてや人前では、その苦しみや哀しみを隠し「強く」あるように振る舞わなければならないのであって…


誰から教わったことだろう…。


知らず知らずのうちに、私の行動は、「心の本当」を隠し「心の嘘」を無意識のうちに表面化することが正しいことであり、美しいことなのだと信じ繕って生きている。

特にこの4年間はそうであった。

それは、そんなに難しいことではなかった。偽りの自分で生きていることの方が楽でもあった。


これから先もずっと私は、幸せを装って生き続けると思う。みんな…も…きっとそうなのだろう。

人には、人には言えない、見えない苦しみや悲しみが多かれ少なかれあるはずだから。

自分らしく生きているようで、本当は、「自然に心にブレーキがかかり…知らずまにコントロールされ「自分らしく生かされている」のだろう。


生きやすいように…

生きることが、自分らしく…と・・いうことなのだろう。