絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

突然の訃報

突然の訃報は、眠りについた頃に届いた。


 叔母の死・・・


 朝、5時前メールをチェックして気づいた。

 姉とのメールのやりとりで、

 死因、

 通夜、葬儀の場所と日時が段々分かってくる。


 あえて、ここからは「おばちゃん」って言おう。


 おばちゃんは、母の直ぐ上の兄の妻。年齢は、母と同じか少し下かもしれない。母とおばちゃんは、「◯◯ちゃん」と名前で呼び合いまるで本当の姉妹のように仲が良かった。

 

 母の兄(おばちゃんの夫)は、遠く離れた北海道で心臓麻痺の為32才の若さで亡くなっている。



 当時私の家とおばちゃんの家は隣同士にあった。

 私は小学校3、4年生だっただろうか。今でもはっきり覚えている。


 夜中…

 泣き声と怯えたような声…に目が覚めた。

 おばちゃんが、言葉にならない言葉を発しようと、必死に叫びながら、母に助けを求めている。母は慌てておばちゃん家に行き、かかって来た電話に出たのだろう。


 二人の震える泣き声のような言葉…


 それから、おばちゃんと親戚数人で北海道へ行き、おじちゃんを連れて帰って来たようだった。



 その時おばちゃんは、30才になっていたのだろうか?


 いずれにせよそれから、今日まで、3人の子どもを育て、独立させてからは、ずっと一人…体が許す限り働きながら過ごしていた。

 近くにいる「おばちゃん」で唯一車の運転ができるのがおばちゃんだったから、沢山の事頼んでいたし無理も言っていた。


 母が亡き後も母のように接してくれたおばちゃんであったのに…

 私は、

 主人が死んだことで、地元からも、親戚からも、仲が良かった従姉妹からも遠ざかり、「音信不通」状態に自らした。


 そう…

 主人の葬儀依頼・・・


 10年だ!10年間。



 そのおばちゃんに今、会いに行こうと新幹線に乗っている。実家に帰る時にはいつも乗っていた「こだま」に乗って。

 

 なんか、古臭い匂いがする。

 椅子もけして綺麗とは言えない。


 これも年月の流れか…。


 古びた窓から景色を眺める。

 

 

 おばちゃんの胸を借りて泣かせてもらえばよかったって…思う。

 おばちゃんなら、

  おばちゃんだから、

   分かってくれたはず…


 何も言わなくても、しっかり抱きしめてくれただろう。


      遅すぎた・・・

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