究極の孤独
私は、完全なる自由人で、誰よりも「我が人生」を、好きなように生きているのかもしれない。
自分の判断だけで事を起こすのも辞めることもできる。誰の許しを乞うことも要らない。何処へ行こうがいつまで行こうが、困る人などいない。止める人などいない。最高の「自由人」だ。
しかし…
それが、
究極の孤独だと気付いてしまった。
自由…。
日本では往生楽土、楽市楽座の語に見られるように、「楽」を「自由」という意味で使う用法があったと聞いている。
皆んなは知らないだろう。
自由とは、そんなに「楽」なものではない。時に…虚しいものだ。そして、「自由」とは、「束縛」の中にあってこそ意味あるものになるのだとも思う。
