絶望の淵から生還できない理由
「さとみ…」
「さとみ・・」
肝性脳症で、意識レベル3(ほとんど眠った状態。しかし、外的刺激に対しては反応する。)のあっちゃんが私の名前を呼んだ。
「あっちゃん…」
思わずあっちゃんの頬を両手で包み「私のこと分かる?」って聞いた。
「さとみ…」って言った。
普段は名前で呼ぶことはない。私がジュゴンのように大きくて、態度もデカイから私を呼ぶ時は、いつも…
「ゴン」(ジュゴンのゴン)だった。
あの時…伝えたいことがあったのではなかろうか・・・と、折にふれ考える。考えては悔やむ。
そんな日が、ずっと続いている。
私は今でも…2015年1月15日
肝性脳症5レベルの状態から抜け出そうとしていたあっちゃんが、ゆっくり呼んだ…
「さ・と…み」…と
言う声を忘れないでいる。その声を思い出す度に胸が締めつけられるような気がする。
そして…もう1つ。
まだ、肝性脳症の症状も出ていない1月4日の日に届いたメール…。
12月31日「24時間の余命宣告」を受けながら、お正月の三が日をドキドキしながら過ごした。
その翌日…届いたメールだ。
毎日毎日病室に一緒にいるのに届いた…
「意味不明なメール」
寂しげで…
哀しげで…
今にも消え入りそうな弱さを感じながらも・・・
伝えたい…伝えなくては・・という強い意思も感じる。
「ゴン…」・・・と。
ただそれだけの…メール
まさか…死んでしまうなんて思わないから…
こんなにも直ぐにさよならするなんて考えもしなかったから…
気になりながらも…やり過ごしてしまった…私の落ち度。
彼はいつも聞き役だった。
私はいつも言いたい事だけ言って、彼の気持ちは、本心は・・・聞く事をしなかったように思う。
だから彼は、自分の病気のことも借金のことも『死んでも口にすることがなかった』のではあるまいか。
「私の人生最大の罪」
本当は心細くて、私に泣き付きたかったに違いないのに…。
これが…なかなか絶望の淵から生還出来ない理由。
秋の夜長に…また聞こえてくる…
「さ…と・・み」って
あっちゃんの声が…。
