お母さん!あっちゃん!お父さん!
思い出しました。
いつも、以前書いた私のブログを見つけて読んでくださっている皆様心よりありがとうございます。
ふわりさんがナイスして下さったお陰で、あの時の感情が込み上げてきて…久しぶりに号泣しました。しばらく泣くのを我慢していたので…今日は、車をとばして、知らない河川敷まで来て泣きました。
「お母さんは、絶対に大丈夫や!
人間・・・
そんなに簡単に死ねない!」
暗い高速道路を猛スピードで走る車の中で交わしたあっちゃんとの会話だった。
13年前の6月22日、午前2時過ぎ、けたたましく鳴る電話の音で飛び起きた。時間的にも、ただ事ではないだろうと察した。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、当時高校生だった姪の悲痛な声だった。
「おばあちゃんが倒れた。」
直ぐに、車に乗って駆けつけようとした私を止めたのは、あっちゃんだった。
数分後・・・
身体が震えて、感情がバラバラになっている私の代わりにあっちゃんが、ハンドルを握って車を走らせていた。
真っ暗で何も見えなかったけれどあっちゃんが私の横にいた。
私は、ただ・・ただ両手を合わせ、
「お母さん!大丈夫よね。」
「お母さん!死なないよね。」・・
独り言・・言ったり・・声に出して泣いたり・・「お願いします」と、手を合わせて世界中にいる神様皆にお願いしたり・・・
「お母さんは?」と、
メールを度々送った、
すると、姉から、
「大丈夫よ。お母さんは、貴方が来るのを待ってるよ。」
(そんな現状が全く分からないメールばかり返って来た)
動揺させないために、私を気遣ってのメールだった。
高速道路を走りながら、日の出をあっちゃんと2人で見た。
その時だったと思う。
「お母さんは、大丈夫!人間・・・
そんなに簡単に死なないから。」と言った。
約6時間かけて着いた病院の玄関には、姉と姪っ子2人が並んで、私が来るのを待っていてくれた。
その三人のうちの誰かが、私を見つけると、大きく両手でバツを作って見せた。
愕然とした。
生まれて初めて感じる「絶望」だった。
体中の力が無くなり、その時、私は「本当の哀しみ」を知った。
何もかもが崩れ堕ちたような感覚だった。
それから母は、人口呼吸器を付けたまま私たちと朝から晩まで、ずっと一緒に過ごした。
何も喋らないし、目も開けないけれど、私たちが沢山・・沢山・・話をした。歌って・・・体中を撫でて・・もう一度目覚めてくれることを祈った。
しかし、一週間後、母は眠るように逝ってしまった。
私が一番悲しかったのは、
もう、
「お母さん・・!」って、呼べないことだった。呼べる人が居なくなったことだった。
「お母さん」って言う言葉が大好きだった。
「お母さん」って、そこに「お母さん」がいなくても温かくなる言葉だったから。
「お母さん」って言うだけで、慰められ、元気になったから。
しばらくは、車の中で、
「お母さん・・お母さん」って何度も連呼して泣いた。
「お母さん」が亡くなった。
蜘蛛膜下出血だった。
今、私は、あの時と全く同じことをしている。
「あっちゃん・・あっちゃん」って、何度も連呼して泣いている。
母が亡くなった時は、車の中で大泣きして家に帰ると、あっちゃんがいてくれた。
でも、今は、
誰もいない。
泣いて帰って来ても、私に微笑みかけてくれる人がいない。
だから・・・尚更・・哀しい。
言ったよね。
「人間は、そんなに簡単に死ねない」って。
「う そ つ き」
(再投稿です。)
あっちゃん…あっけなく
突然に…逝ったじゃない!
大嘘つき・・・
