絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

死の意味の変換

過去は変えられないが…

未来は変えられる。

しかし・・

過去は変えられないが…

その意味は変えられるという。


その意味・・・って何?


主人が他界した。

「最悪」の事実はそのままだけど…その意味を変えられるって・・・。


「最悪」ではないということ?


主人の死は、これまでに感じた事のない「絶望感」を生み、いつしか…「孤独」の世界に私を入り込ませていった。

その最悪で絶望的で孤独な日々が、本当はそうでもない!とでも言うのか!

あるいは、この今の状況を最悪で絶望的で孤独と考える必要がないというのだろうか?

「最悪…絶望…孤独」と捉えるのではなく、

あっちゃんがいなくなった意味を私の中で少しずつ変換してゆけば…


「最悪…絶望…孤独」と固定しないで、


「最悪 を 最高へ」

「絶望 を 希望へ」

「孤独」…は何だろう?

「孤独 を繋がりや安心へ」と変えることができる…そういうことか…?

もしかしたら、

自分の気持ちの持ち方で、

これからの生き方で…

「最高で希望を持って社会と繋がる」ことができるのかもしれないということなのだろうか。


あまりにも愛おしすぎて…

恨み…つらみも半端なくて…

苦しいほど哀しくて…


あっちゃんの死は、私の責任だと思って過ごしてきたし…

あっちゃんの死は、私への罰だとも思っていたから… 。


あっちゃんの死は、私の責任ではなく、私への愛だと…「死の意味」を変換してみようか…⁉︎

これは、私が生きていく上での大きな宿題だろう。私の宿題が出来上がるのと私の人生が終わるのと・・どちらが先だろう…。

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