受け継がれる心
今日は先日の丸一日の休日のお返しに、三人(娘夫婦となっちゃん)に、久しぶりにお出かけの時間をプレゼント。
しかしそれは、授乳から次の授乳までの限られた3時間という短い時間だった。
私はゆりちゃんと2人でお留守番。眠っているゆりちゃんを起こすまいと、あの手この手で作戦実行。
母もそうだった。
母は1ヶ月半一緒に生活してくれた。(私は里帰り出産はしていません。当時今、義父母が住んでいる家に主人と2人で住んでいました。そこへ来てくれたのです。義父母は、少し離れた場所に家がありました。)出産後33日間は安静にするように…と、床上げを済ませお宮参りまで…一緒に行った。
私は、母がしたように娘にしているだけだが、母は3人の娘を同じように支えてくれた。
『偉大』な人だった。
愉快な母でもあった。
いつも台所に立って、料理を作っている姿が思い出される。
私は、母の真似はできない。
時々母を思い出す。
生きていたら・・・
まだ平均寿命に達しない歳だ。そんな母が私にどんな言葉で勇気をくれ、諭してくれ、この哀しみを包んでくれただろうか…。悔しくてならない。
母のようにはいかなくても、不思議なもので「母がしたように」「母と似たように」している私がいる。姉も妹もそうだ。知らずまに親としての心と行いを受け継いでいる。
ゆりちゃんが、
泣きはしないかと…
お乳…と、泣やしないかと…
ずっと、3時間抱っこして過ごした。
お母さん!
私も今…お母さんにぎゅーと抱きしめられたいよ。
