終わりは、始まり!!
人は「終わり」が分かると安心する。
試験勉強だって、
登山だって、
治療にしても、
仕事も、
「終わり」が見えると嬉しくなる。
知的障害者施設で働く私は、利用者さんに「終わり」を伝えることを大切にしている。
学齢児を担当していた時には、一日の日程を表したカードを居室に掲げた。
一つのことをやり終える度に、その行動の絵カードをひっくり返した。
それを全てひっくり返すと最後に、ピースをしたニコニコ顔の本人の写真が表れるようになっていた。
これで「終わり」です。
良く頑張りました。お疲様!
ニコッて笑って布団にもぐる。
「終わったー!」って喜んでいるわけだ。
成人の担当になってからも、
ご飯のおかわりを求め続ける利用者さんには、
ふりかけをかけ、
「これでおしまい!」と、手渡すと納得する。
歯磨きしている時も、
作業中でも、
その終わりのタイミングは重要だ。
主人は完治しない病に侵されていた。
私は死別者としての哀しみが続いている。
「終わり」がない・・・
終わりなきものには苦しめられる。
だから、「終わり」は必要なんだ。
主人の人生は終わった。
終わったけれど、今は痛みも悩みもなく安らかに過ごしていると信じている。
だけど私は、
その主人の「終わり」から「始まっている」哀しみに苦しめられている。
終わりは始まり…
そうなんだ・・・
この哀しみの「終わり」は…⁉︎
