絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

母のように…残って「待つ」自信がない

残される者は…去る者より「哀しい」ものだ。

私が、初めて「去った」のは大学進学の時だった。


でも…卒業とともに家に戻った。


今でも鮮明に覚えている。


1年目は、大学の敷地内にある寮に入った。寮まで、母と2人で行った。必要な物を両手いっぱいに買って持たせてくれた。


古い寮だった。これから始まる寮生活。1人暮らしではないけれど(2人部屋だった)ワクワクしていた。


その日の夕方母と喫茶店で食事して別れた。母は、電車に乗って帰って行った。

寂しかった。

母との別れが心細かった。

泣いた。

母も泣いていたように思う。


次に去ったのは、結婚式の前日だった。


この時も母と2人で、嫁ぎ先の家へ行った。(今義父母が住んでいる家)あっちゃんの家族と一緒に、結婚式の前日を過ごした。

今…思えば何故、母と2人で挙式するホテルに宿泊しなかったのか…母と2人で過ごせばよかったなんて思う。

きっと2人で抱き合って泣いただろう。思い出話もしただろう。嬉しいような…寂しいような…「嫁ぐ」という気持ちを…一生感じることのない…それでもやっぱり切ない一夜を母と2人で過ごせただろう…なんて思う。


大体…あっちゃんのお母さんが何でもかんでも決めたんだ…。ウェディングドレスも…衣装替えの振袖も、引き出物も…(・・あぁー!なんか…腹が立ってきた)


母は、今度ばかりは…寂しかっただろう。だけど安心もしたに違いない。

私は結婚してからも、1年に何度も里帰りし実家に帰った。



母は、いつも残される者だった。


残された者は、その場所に、今居るその場所に…「その人」を感じる。主人(あるじ)の居なくなった部屋。一緒になって笑っていたあの笑顔が…声まで聞こえてきそうで…

ドアを開けるたび、寂しくなるものだ。母も味わったであろう…。


去っていくものは、未来があるから…夢や希望があるから・・寂しさや心細さはいつしか薄れてもいく。


母は・・いつも待つ人だった。残って待ってくれている人だった…。

でも今度は、母が去ってしまった。

しかも…永遠に…。

そして 父も…去った…。


私は、姉妹は…残された者となった。

両親と早過ぎる死別をする自分の人生を悔やんだ。


でもその時…私には、家族がいた。あっちゃんが、娘がいた。

頼りになる姉妹がいた。

一緒に同じだけの「哀しみ」を慰め「合える」人がいてくれた。


だから…生きてこられた。

私らしく…生きてきた。


そして…今度は、あっちゃんが去った。


私は…また残された。

今度ばかりは…自信がない。

残された者として…私らしく生きていく自信がない。

そして、

三回忌法要を終えて…娘も帰って行った。


私は…母のように、残って…「待つ」自信がない。

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