絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

心の鍵をかけたまま・・

自分の心の鍵は…


自分で…

自分の意志で閉じてしまったから…

開けるのは…

自分自身で…・・しかない。


人の偉大な力を借りようとも…

人の優しさの中にいようとも…


この哀しみが消せない限り

開けることはできない。


いくら・・・時間が過ぎても…

春になっても…

心に鍵をかけたまま…

過ごしていく…

Kiroroで泣いた

「お母さん…どんな音楽聴いたら…心が少しでも和みそう?」


Kiroroかな…


即…インターネットで検索。

すると、山口県の防府で3月28日コンサートがあった。直ぐに購入。


「お母さん…チケット取れたから一緒に聞きに行こう。」


流石…アナログ時代の私と違って、この素早さ…良いも悪いも答える暇なく決まった。


あっちゃんが他界して…2ヶ月のことだった。その頃の私は…

コンビニのこと…

借金のこと…


あっちゃんの裏切り…に


「哀しみ」に…だけ浸ることもままならず・・・


それでも…

哀しくて…哀しくて…泣いた。


すると、いつの間にか腹が立ってきて…

悔しいやら…哀しいやら…


絶望の底に落ちた…。


そんな時…2人でコンサートに行った。

まだ…あっちゃんが他界して、2ヶ月だった。

浴衣のまま、温泉街を歩き、足湯に浸かって…大笑い…。カラオケに行って・・熱唱!


哀しみの中にあっても…


笑っていた。

笑うと泣けてきて…

泣いて・・・また笑った。

笑いは…哀しみを誘った…。


そして…次の日

コンサートだった。

Kiroroの歌声が心を洗ってくれた。


Kiroroの歌声が心に響いた。


Kiroroの「もう少し…」という曲を、私は…今・・・よく口ずさむようになった。


もう少し…一緒にいたかった。

優しいひかり

私に2人の子どもができました。


世帯主は私なので…これから重い責任を負う…・・・そんな事もないけれど…。


「お母様…もうお聴きになっていらっしゃると思いますが、昨日養子縁組の手続きが完了したようです。書類だけの事とは言え、大事な大事な息子さんを申し訳ありません。そして…ありがとうございました。

正直…主人の最大の意向であったのは確かですが、亡き後…私自身はそう重要視していませんでした。


しかし…義父との約束だったからと、なっちゃんが1歳になる前に行動に移してくれた事に、とても感謝しています。何より主人が喜んでいると思います。


私に出来ることは、大切に娘夫婦を見守ることぐらいですが、「家の名」に捉われず互いに変わらず…しかし、これからは…より深く仲良くしていきましょう。」と…伝えた。


養子縁組が完了した。


娘婿は、様々な物の名義変更で大変なようだ。中でも、車は…。

なんと、ナンバーも変わるそうだ。



私が捨てようとしていた名前に…

新たに3人の名前が加えられた。


養子縁組をする前の戸籍謄本のあっちゃんの欄には、「除籍」と書かれ、淋しい戸籍謄本だった。


今は、

私一人だけだった欄に…

新たに3人の名前が連なって書かれているのだろうか…。


戸籍謄本なんて…殆ど見ることがないけれど今度いつか見てみよう。


少しだけ楽しみになってきた。