絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

束の間の喜び

お医者さんって、嘘をついてもかまわないのですか?


生死に関わるような嘘を言っても、許されるのですか?


あっちゃんは、1日500mlまでの水だけ許された。


もちろん、絶食、24時間の点滴、そして、友達一号(尿袋)とも離れられずにはいたが、お正月の三日間を過ごすことができた。


毎日、24時間あっちゃんと一緒に過ごした。


朝起きると、まず、顔を拭く。次に、歯磨き。

それから、顔にたっぷり化粧水とクリームをつける。マッサージ。

もちろん、髭剃りも忘れない。

髪は、水のいらないシャンプーで。

毎日、あっと言う間に過ぎていった。

あまり覚えてないけれど、沢山話もしたと思う。


そうよね。あっちゃん。

コンビニを経営するようになって、二人でゆっくり、のんびり過ごすなんて全くできなかったよね。


だから、治るのを待つ看病ならば、希望のある看病ならば、また、元気なあっちゃんに戻るための看病ならば、最高に幸せな時間を過ごしていたと言えるだろう。



治る・・・希望ある 看護なら。



ただ、この部屋では眠れずにいた。


「帰って寝ろ。」


あっちゃんは、何度も言った。


でも、家に帰って眠れる⁇

そんなはずないじゃない。


しかし、私の体もそろそろ限界に達していた。それを、見計らって、娘や義母が変わってくれた。



娘が頼んだらしい。



「おばあちゃん。お母さんを布団の中で

寝かせてあげたい。私がお父さんを看

てるから、何にもしなくていいから、

今日、病院へ一緒に泊まってくれる?」


涙が出た。誇らしく感じた。


娘の優しさに、疲れ切った心が慰められた。


そんな時、主治医から、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい報告を聞くことになる。


いつもの様に、部屋に呼ばれた。


心臓の音が聞こえるぐらい

ドキドキ、ドキドキ・・。


そして、主治医は、

「峠は越した❗️」と、


はっきり私に言った。


やったー‼️やったー‼️

やったね!あっちゃん‼️


あっちゃんは、死なない。


あっちゃんは、死なない。

やったー‼️


あっちゃんが、奇跡をくれた。


泣いた泣いた。泣いた。



あっちゃんは、生きる‼️


やったね!



そのうち、何故か腹がたってきた。


そして、あっちゃんに、

「大晦日の日、先生に呼ばれて、あっちゃんが、24時間の命だって言われたんよ。皆が、集まって病院へ来たやろ。」



その日の夜、葬儀会社の話までしたことを話した。


話しながら・・泣いていた。


泣きながら・・・・話した。


「ありがとう。あっちゃん。

生きてくれて、ありがとう。」


本当に、そう思った。


生きているだけでいい。


ありがとう❗️って。


でも、あっちゃんは、どう思っていたのだろうか。



後日、聞いた話だか、その夜、沢山の友達に電話をかけていた。


「俺の 葬式を出されるところじゃっ

た。葬儀会社を、どこにするか決めよ

ったらしいわい。」


笑って話していたと言う。



あっちゃんも、死を回避できた事が嬉しかったんだ。


まさか、自分が、死ぬとは、思ってなかったんだ。



嬉しかった。また、涙が出てきた。

良かったね。あっちゃん!



だけど、だけど、


私には、聴こえてた。

あっちゃんの体が悲鳴をあげていることを。


私は感じてた。

最期の二人だけの大晦日

私の家は、病院から40分の所にある。


同じ敷地内に義父母が暮らしている家がある。あっちゃんは、長男なのだ。


義父母には、帰ってもらった。

29日からの緊急入院騒ぎで、義父母も相当つかれているにもかかわらず、今日は、息子のたった24時間の死の宣告をうけ、さらに、その命の期限を「延命処置をしない」という決断で、私達で決めてしまったんだから。その疲れは、目にみえて分かった。


病室は、個室だけど狭い。


しばらく、姉と妹と娘に一緒にいてもらった。


妹は、あっちゃんの足をさすりながら、話しかける。


姉は、顔色をうかがいながら・・・


娘は、手をさすりながら・・・・

あっちゃんは、気持ちよさそうにされるがまま・・・


12月31日と言えば、我が家は、毎年恒例でダウンタウンの「笑ってはいけない」テレビを見て過ごす。


世間は、新しい年を、美味しい食べ物を囲んで、年越しそばでもすすりながら過ごしているんだろうなー。


そう言えば・・・・何年ぶりだろう。


あっちゃんと、大晦日の日に、一緒にテレビを見て過ごすのは。

去年もその前も・・・その前の年も・・あっちゃんは、家にいなかった。


年を越してから帰って来て、お風呂にも入らず布団にもぐる。


ゆっくりテレビを見て、年越しそば食べて・・・なんて、コンビニ始めてから全くしていないことに改めて気付かされた。


娘は、東京の大学に行った。就職も東京でした。学生中は、バイトがあるから・・・・と。就職してからは仕事が忙しいからと、ここ5、6年お正月を、義父母と私達夫婦とで過ごしていた。


今年は、正月を迎えられない。


でも、今年は、賑やかな大晦日になっていた。


あっちゃんは、姉や妹まで来たことを不思議に思わなかったのだろうか。


急に。大晦日に。来ることを。



夜の11時を過ぎた頃、病院の近くにあるビジネスホテルを予約し、姉と妹そして、娘に泊まってもらう事にした。


歩いても、10分かからないホテルにいてもらった。



だって、この日、あっちゃんと私の最期の日になるはずだから・・・・。


もうじき、「笑ってはいけない」テレビが終わる。


全く笑わなかった。笑えないよね。


このテレビが終わる頃、

あっちゃん⁉️

どうなるんだろう・・・・

急に苦しみだすの⁇


苦しまないでほしい・・・・


それとも、また、吐血・・・

それは、嫌!!

私は、ベットの傍に椅子を置き、あっちゃんの手を握ったり、顔をさすってみたり、足を揉んでやったり、あっちこっち触った。


生きていることを確かめるように。


彼の温かさを覚えておくために。


そして、何より、

優しくしてあげられなかたことを、悔やみながら。


「今になって・・・・」

「遅いよね。」


「ごめんね。」・・・・・


泣きながら・・・謝りながら・・・


あっちゃんとの大切な時間を過ごした。

あっちゃんと、たわいも無い話をした。

孫の事。コンビニの事。


「幸せだった」


「おぅ」


「ありがとう」


何度も言った。


ごまかしながら・・・・・・泣いた。泣いた。


あっちゃんは、おかしいなーって、思わなかったのかなあ⁇



いつものいびき・・・・が聞こえる。


嬉しかった。


あっちゃんが、いびきをかいて寝ていることが、何故かとても、とても嬉しくて嬉しくて・・・・・泣いた。後から後から・・・涙が止めどもなく流れた。


規則正しく息をしている。


確かに、確かに、生きている・・・・


「あっちゃん❗️だいすき❗️」


「あっちゃん❗️ありがとう❗️生きて

いてくれてありがとう❗️」



気がつけば・・・・2014年が終わってた。


2015年元旦


朝から、皆が集まった。


あっちゃん、食事もしていないのに凄く元気。


あれっ⁉️


あっちゃんの友達一号(尿袋)も大量😊😊😊



でも、誰の口からも出てこない。


「あけましておめでとう」



1日が終わった。


24時間は、とっくに過ぎていた・・・

延命処置はしません。

どのくらい時間が経ったのだろう。


まず、家族に知らせなくてはならない。義母に電話した。娘に電話した。それから、私の姉と妹に・・・電話した。


そして、また、声をあげて・・・・泣いた。


「あっちゃんが、死んでしまうよー‼️」


早く・・・早く・・・


あっちゃんの待つ病室に帰った。

白くて重い扉を開ける時、少しためらった。



もしかして、

あっちゃん・・・・・

もう・・・・・

少しずつ、少しずつ開けた。


ベットに座っているあっちゃんが見えた。


あっ!!

生きてる!!



「また、入院みたいよ。」


「肝臓の数値が悪くなっているみ たい 。一カ月ぐらいかな。」


「おぅ」


やっぱり、知っていたんだね。


でも・・・

「死ぬ」ほど悪いとは思ってないよね?!!あっちゃん⁉️


どうなの⁉️

義父母が、来た。

娘も帰って来た。


義父母と娘がそろったところで、また、主治医から話しがあると言われた。


さっき聞いた話と同じなんでしょ。

あれは間違いだったって、謝ってくれるんじゃなきゃー聞きたくない‼️



同じだった・・・


少し違うのは、「延命処置をするかしないか」という確認を取ることが付け加えられていた。


延命処置をしても、数日しか生きられないと言った。

延命処置は、患者自身もしんどいだろうとも言った。


「自然なかたちで、彼を送ります。」



決まった?!!



確実に彼は死ぬ・・・・。



彼は・・・死んでしまうんだ・・・



本当に・・・・


夜、姉と妹も新幹線で九州から来てくれた。


少し、 心が・・・和らいだ。


死を確信しながらも、

少し、嬉しい裏切りが・・・起こり始めようとしていた・・・・。