絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

変わらないで欲しかった…未来!

今年の夏…

平成最後の夏が終わろうとしていた。

平成30年・・・

平成は…30年間あったんだ。

私はその平成という時代を全て生きそして過ごしてきたことになる。

一つの時代を生きた…


平成という時代は、正にあっちゃんと一つの家庭を築き…育てた時代だった。

夫婦として共に生きた時代でもあった。

しかし…次の時代の命名も聞かずして…

残りたったの3年を待たずして・・この世を去った。

次の時代はどんな名前になるのだろう…等と、そんな事に全く興味もなく…

それより、新しい時を…

これからは何かが始まるその一歩を…いつもいつも一人で迎えなければならない事に虚しさを感じ…。


まだまだ…もしかしたらもう一つ先の時代も一緒に迎えられたかもしれないのに…とまた、そう思うと悔しくてたまらなく…。

過去は変わらないことは分かっている。

どんな時代が来ようとも。

あっちゃんがいなくなったという事実は決して変わらない。


変わる事が出来る未来…

今をどう生きているかで…確かに変わるであろう未来に…少しでも笑える日が多くなりますように…と空を見上げると今日はすごく大きなお月様が出ていた。


あっちゃんだな!

そして呟いた。

変わらなくてもいい…未来もあったのに・・・と…。

醜い心…

ブログへ届くコメントに返信しようと…思いつくまま文字にしていた。

すると、

そこから私の醜い心が見えた。

私の内面にある本心が…、


見えた…。


私の心は・・・今…

とても貧しく…て、冷たくて…

人に対して以前のように優しい気持ちで接することができなくて…、

人様から頂いている思いやりも…全く素直に受け取れることができない。


心にいくつかのドアがあるとしたら、人を思いやる心の扉と、「共に…」とか「一緒に…」とか「2人で…」といった人を愛おしむ扉が閉ざされたまま…で・・・


完全なる「妬み」…


完全なる「被害妄想」…だと!わかってはいるものの…


けして…

良かれと思ってそうしている訳ではなくて…

私は、

そんな心と闘っている。


ただ…、

この誰にも言えない感情を消し去り綺麗な心とまでいかなくても、以前のような気持ちになるには…

あっちゃんの死が私の中で納得出来るようにならなければ…

私自身を許す心にならなければ…

誰であっても…

どんな力があっても…


その扉を開けることはできない。

それまではきっと無理!

絶望の根源 「失われた感情」・肝硬変

終わった・・・・


確かに終わった・・・・・


何かが・・・・


一つ・・・


歌を忘れたカナリアの童謡がある。


昔聞いたことがあるような気がする。


彼は、

あっちゃんは、


亡くなる半年前から、急激に・・・


笑顔を、笑い声を忘れていったような気がする。


ユーモアたっぷりで、人を笑わせたり楽しませたりすることが大好きなあっちゃんだった。


おどけて見せては、自分からニヤッと笑い顔・・・


オヤジギャグ・・・全く面白くない。


だけど、いつも彼は笑ってた。


それなのに・・・


笑顔がだんだん消えていった。


・・・それも気づかなかった。


笑い声がだんだん少なくなった。


・・・それも気にしていなかった。


そう言えば、娘の結婚式でさえも・・


あっちゃんは、


笑顔が、笑うことが、出来なくなっていってたんだ。


肝臓が悪くなると筋肉が衰えるらしい。笑顔を作りたくても、口角が上がりにくくなるらしい。


話をするのもスローだし、ましてや、大声をあげて、大口開いて笑うなんてよほど面白いことでもない限りできないらしい。


笑顔が・・・笑い声が、奪われていってたんだ・・・・。


肝硬変という病気は・・・、


人間が一番味わいたいであろう「快楽」の感情を・・・・


「微笑む」という人と人との繋がりを深める表情を・・・・


無残にも奪い取ってしまったんだ。


そうだったんだ。


思い当たることがたくさんある。




ごめんね。


全く理解していなかった。

あっちゃんは、私が「絶望」を感じる前に、

妻に対して・・・・・

自分の病気に対して・・・


「絶望」を感じていたに違いない!


妻としては…もう完全に終わっていたのかもしれない。


(再投稿です。私の哀しみの根源はここにあるのかもしれません。彼を喪って2ヶ月後のブログです。)