絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

面倒くさい!

5年も経ちゃー!


「そろそろ…歩き始めんとね!」っか…⁈


「始めっから…

あっちゃんが死んだ・・その日から…

茨の道を歩きよるわっ!」・・って言いたいけれど、傍目にはそうは映らないのだろう。


前に進めとか…

気持ちの切り替えの時とか…

動きはじめよ!とか…


そう言われると…


忘れてた…忘れようとしていた…


忘れたかった!

私の現状がはっきり見えてくるから…

私は、連れ合いを亡くした可哀想な人なんだ!と…

そんなこと言われてないけれど…


ついつい言われているかのような気持ちになってしまう…から。


私は歩いているし、

動き出してもいる。


まだもちろん…

主人の遺品の整理も、主人と暮らした家の片付けもできてないけれど…


歩き始めてないから、できていない訳ではない。


生きていれば…しなくていい彼の私物の整理と片付け!

生きていれば…しなくていい家の片付け・・って思ってしまって!


悔しくて…。


死んでしまったからって…。


正直いえば…

面倒くさくてできない…のだ!


私は、


ただの怠慢者なのだ!

生と死の狭間で…

(いつも訪問して下さる方は、覚えているでしょうか?)

 私が嫁いでからできた数少ない友達の一人…。

 彼女は元小学校教諭で、教員(教頭)の奥様。

 小さくて可愛らしい方でした。

 でも、原因は分かりませんが、鬱病を発症し、30代前半で教職から離れました。

 それ以来、会うこともなくなりましたが、忘れた頃に電話がありました。

話し出すと1.2時間…はいつものことでした。

 だから私は、居留守を使うこともしばしばありました。


 今現在に至っても時々電話があります。申し訳ないですが、出ないこともあります。出ないことの方が多いように思います。


 それは、昔の話ばかりするからです。そして、家族の話(旦那さんの愚痴)。

 私にしてみれば、触れたくない話もありました。

 意味のない話…だ!どうでもいい…なんて思うこともありました。

 

 でも彼女は繰り返し話すのです。


 今日、彼女から2回携帯がなりました。仕事中だから出ませんでした。

 昨日は夜9時過ぎにありました。お風呂に入りたかったので出ませんでした。

 こちらからかけることはありません。

 

 しかし・・・


 昨日…鳴り響く携帯を見ていて思い出しました。

 主人を亡くした年、1人で行った沖縄。1か月コンドミニアムを借りて…。


 今だから話せるけれど…今だから…

 

 私は、

 実は…

  死のうと思っていました。


 だけど、毎日毎日彼女から電話がかかってきました。

 沖縄にいることを話したら、朝に夕に電話がありました。

 私も綺麗な海眺めながら…いろんなこと話したと思います。


 さとみさん、今日何した?


 何食べた?


 明日は何するの?


 私は助けられていました。


 生きていました。


 彼女の電話に助けられていました。

 

 明日…

 彼女から電話があったら

 ごめんね!

 ありがとう!って言おうと思います。

連れ合い…夫!

連れ合い・・・「夫」


私は一生共に歩くべき人を、

かけがえのない大切な人を亡くした。


連れ合いを亡くすということは、共に生きる人を亡くした…ということ。

命の半分を失った…ということになる。


それがどんなに残酷で…

どんなに悔しくて…

哀しいことか…。


知らずに済むのであれば、それに越したことはない。

しかし、何の因果が私の身に降りかかってしまったのだ。

連れ合いの死…が。


誰が…

こんなに早く永遠の別れが訪れると思っただろうか!


連れ合いだろ!

連れ添うだろ!

共にだろっ!


「連れ合い」と呼ぶのなら…


一生を通じて、


何処にでも一緒に行き、

一緒にご飯を食べて…

一緒に旅行して…

一緒に寝て…


人生を、最後の最期まで連れ添うべきだろ…!


連れ合って…生きようよ!