最期の大晦日 〜消えた元旦〜
24時間の余命宣告を受けた…。その24時間が静かに過ぎようとしていた7年前の大晦日。
病室に二人・・・
死と向かい合いながら過ごした二人だけの夜。
私の家は、病院から40分の所にある。
同じ敷地内に義父母が暮らしている家がある。あっちゃんは長男なのだ。
義父母には、その夜帰ってもらった。
29日からの緊急入院騒ぎで、義父母も相当疲れているにもかかわらず、今日は、息子のたった24時間の死の宣告を受け、さらに「延命処置をしない」と決めてしまったのだから…。
その哀しい疲れは目にみえて分かった。
病室は、個室だけど狭い。
しばらく、姉と妹と娘に一緒にいてもらった。
妹は、あっちゃんの足をさすりながら、話しかける。
姉は、顔色をうかがいながら・・・
娘は、手をさすりながら・・・・
あっちゃんは、気持ちよさそうにされるがまま・・・
12月31日と言えば、我が家は、毎年恒例でダウンタウンの「笑ってはいけない」テレビを見て過ごした。
本当なら、新しい年を美味しい食べ物を囲んで、年越しそばでもすすりながら過ごしているのだろうなー。
そう言えば・・・・何年ぶりだろう。
あっちゃんと、大晦日の日に、一緒にテレビを見て過ごすのは…。
コンビニを始めてから、大晦日にあっちゃんは家にいなかった。
年を越してから帰って来て、適当に食べて布団にもぐる。
でも、今年は賑やかな大晦日になっていた。
あっちゃんの狭い病室は、大賑わいだった。(24時間の余命宣言を受け、姉と妹に泣きながら電話してしまったのだ。二人は、大晦日だと言うのに…。九州から駆け付けてくれた。有難かった…。)
夜11時を過ぎた頃、病院の近くにあるビジネスホテルを予約し、姉と妹そして、娘に泊まってもらう事にした。
歩いても、10分かからないホテルに待機してもらった。
だって、今日…
あっちゃんが死んでしまうから…。
最期の日だから・・・。
もうじき、「笑ってはいけない」テレビが終わる。
全く笑わなかった。(笑えるはずがない)
このテレビが終わる頃、
あっちゃん…
どうなるんだろう・・・・
急に苦しみだすのだろうか?
苦しまないでほしい・・・・
それとも、また、吐血・・・⁉︎
それは、嫌!!
私は、ベットの傍に椅子を置き、あっちゃんの手を握ったり、顔をさすってみたり、足を揉んでやったり、あっちこっち触った。
生きていることを確かめるように。
彼の温かさを覚えておくために。
そして、何より、
優しくしてあげられなかたことを、悔やむように…。
「今になって・・・・」
「遅いよね。」
「ごめんね。」・・・・・
泣きながら・・・謝りながら・・・
あっちゃんとの大切な時間を過ごした。
たわいも無い話をした。
「幸せだった⁉︎」
「おぅ」
「ありがとう」
何度も言った。
ごまかしながら・・・・・・泣いた。
泣いた。
そのうち…
いつものいびき・・・・が聞こえてきた。
嬉しくて泣いた。
あっちゃんが、いびきをかいて寝ていることが、何故かとても、とても嬉しくて嬉しくて・・・・・
泣いた。
後から後から…涙が止めどもなく流れた。
規則正しく息をしている。
確かに、確かに、生きている・・・・
「あっちゃん…だいすきだよ。」
「あっちゃん…ありがとう。生きていてくれてありがとう。」
そして、
気がつけば・・・・
2014年が終わっていた。終わった・・・。
24時間が過ぎたのだ。
2015年!になっていた…。
私はこの年から・・・
新しい年を迎えるという喜びが全くなくなってしまった…。
(以前のブログに私の「今」の気持ちを足して投稿しました。)
