終わり・・・
「絶対に理解できない気持ち」を
理解して!と・・・ 思う方がおかしいのだろう。
きっと、親子でも姉妹でも無理なものは無理な話なのだ。
大学に落ちた時!
一緒に付き添ってくれた姉にその悔しさを理解して!って言っても無理だし、
妹がリウマチに苦しんでいる時も、可哀想で少しでも痛みが和らぐグッズを送ったが、妹の真の痛みを知ることはできないし、
姪が、小学校入学前に入院し治療に専念している時の看護している姉の辛さ、しんどさを私はそばにいながら、分かっているようで分かっていなかったし、
母を亡くし…
泣いて電話してくる父を・・
あの時は、心から受け止め 支えてあげることができなかったし、
所詮!
当事者でなければ
理解できないことなんだ!!
あっちゃんが死んだ…。
その哀しさは誰にも分からない。
私だけが分かる哀しさ…であり・・
私だけの哀しみなのだ。
誰も皆…
それぞれに哀しみ、苦しみ、痛み…
…を持って生きている。
しかし、
それにはいつか終わりがある。
だけど、「死別」は、
「死別」の哀しみには、
終わりがない・・・
私が死ぬ時が「哀しみ」の終わり…
