哀しみの比較
今日は、あっちゃんの親友の「梅さん」の祥月命日。
以前…紹介したこともあるが、あっちゃんの同級生で、電気屋さん。我が家の電気製品は全て梅さんが持って来てくれた物。
義父母の家も…娘が一人生活を始めるにあたって取り揃えた全ての電気製品も、梅さんにお願いして取り付けてもらった物。
テレビの映りが悪くなると電話し、エアコンが故障すると電話し、いつでも直ぐに会社から40分は離れているのに駆けつけて直してくれた。
梅さんが胃癌だとあっちゃんから聞いた。
梅さんが入院した時には、あっちゃんと二人で見舞った。
笑顔の素敵な人だった。
少し休養した後、復帰するって言っていたのに…確か…復帰したはずだったのに…あの・・梅さんが…。
あっちゃんが他界する9日前に…他界したなんて、信じられなかった。義母が新しいテレビを買い替えたいと、梅さんの会社に電話した時にそれを知った。
梅さんが少し前に逝って、あっちゃんを待っていてくれていたなんて…
それから…私と梅さんの奥様のメール交換が始まった。月に…2回。その月の11日には、私から…。そして、20日には、梅さんの奥様からメールが届く。
一度も会ったことがないけれど…心寄せ合い話ができる人・・・。
奥様は、義母と長男夫婦と一緒に生活をされている。近くには次男夫婦もいて、可愛い娘さんもいらっしゃる。哀しみは同じでも…その哀しみを覆い隠してくれる存在が沢山いる。
もちろん…「私の方が哀しい」と言っているわけではないが…
家族がどれだけいようと、夫と死別した哀しみは同じだと思っている。ただ…哀しみという隙間があるとしたら・・・それを埋めてくれる愛しい人が沢山…いることが羨ましかったりもする。
いけないね…。
こんな風に考えては…。
ついつい…自分が一番哀しい…なんて思ってしまう…。
