母のように…残って「待つ」自信がない
残される者は…去る者より「哀しい」ものだ。
私が、初めて「去った」のは大学進学の時だった。
でも…卒業とともに家に戻った。
今でも鮮明に覚えている。
1年目は、大学の敷地内にある寮に入った。寮まで、母と2人で行った。必要な物を両手いっぱいに買って持たせてくれた。
古い寮だった。これから始まる寮生活。1人暮らしではないけれど(2人部屋だった)ワクワクしていた。
その日の夕方母と喫茶店で食事して別れた。母は、電車に乗って帰って行った。
寂しかった。
母との別れが心細かった。
泣いた。
母も泣いていたように思う。
次に去ったのは、結婚式の前日だった。
この時も母と2人で、嫁ぎ先の家へ行った。(今義父母が住んでいる家)あっちゃんの家族と一緒に、結婚式の前日を過ごした。
今…思えば何故、母と2人で挙式するホテルに宿泊しなかったのか…母と2人で過ごせばよかったなんて思う。
きっと2人で抱き合って泣いただろう。思い出話もしただろう。嬉しいような…寂しいような…「嫁ぐ」という気持ちを…一生感じることのない…それでもやっぱり切ない一夜を母と2人で過ごせただろう…なんて思う。
大体…あっちゃんのお母さんが何でもかんでも決めたんだ…。ウェディングドレスも…衣装替えの振袖も、引き出物も…(・・あぁー!なんか…腹が立ってきた)
母は、今度ばかりは…寂しかっただろう。だけど安心もしたに違いない。
私は結婚してからも、1年に何度も里帰りし実家に帰った。
母は、いつも残される者だった。
残された者は、その場所に、今居るその場所に…「その人」を感じる。主人(あるじ)の居なくなった部屋。一緒になって笑っていたあの笑顔が…声まで聞こえてきそうで…
ドアを開けるたび、寂しくなるものだ。母も味わったであろう…。
去っていくものは、未来があるから…夢や希望があるから・・寂しさや心細さはいつしか薄れてもいく。
母は・・いつも待つ人だった。残って待ってくれている人だった…。
でも今度は、母が去ってしまった。
しかも…永遠に…。
そして 父も…去った…。
私は、姉妹は…残された者となった。
両親と早過ぎる死別をする自分の人生を悔やんだ。
でもその時…私には、家族がいた。あっちゃんが、娘がいた。
頼りになる姉妹がいた。
一緒に同じだけの「哀しみ」を慰め「合える」人がいてくれた。
だから…生きてこられた。
私らしく…生きてきた。
そして…今度は、あっちゃんが去った。
私は…また残された。
今度ばかりは…自信がない。
残された者として…私らしく生きていく自信がない。
そして、
三回忌法要を終えて…娘も帰って行った。
私は…母のように、残って…「待つ」自信がない。
