私の最期
夜になると考える。
母が他界した年齢。65才。
母は最後の最期まで私の理想だった。
母の様に…この世を去りたいと…いつも思う。
母の生き方は、真似できない。
専業主婦であり、地元の仏教婦人会での活動、若い頃から日本舞踊を習っていた為地域の行事では、ボランティア活動の一環として、申し入れがあればいろいろな場所で踊りを披露した。小さな地域ではあったが、地域の中心的人物でもあったし、人の為に飛び回ることを喜んでやってのけた人だった。
私にはそんなこと…できなかった。
おそらく…これからも・・・
母を想う時・・・
その生き様を羨ましくも想うが、今の私にとっては、その生き様ではなくて…「死に方」を真似したい。
「子どもには絶対に迷惑かけない」 母はいつも言っていた。
母はやってのけた!
遺された方にとってみれば…恩返しの一つもできなくて情けなく苦しい。母の死は私の体の半分がなくなったようなそんな思いがいつまでもいつまでも続いた。
だけど・・・
母は…
母は突然倒れ、
姉の胸の中で呼吸を止めた。
蜘蛛膜下出血だった。
1週間…脳死状態が続いた。
私は…母の様に逝きたい。