伯母の死と涙の訳
ピアノの発表会は、毎年オーダメイドのワンピースを着た。一緒にレッスンを受けていた妹は、母が用意した既製の服を着ていた。
小学校6年生まで、毎週土曜日は伯母の家でお泊り。料理上手な伯母は、あの頃で言うハイカラな料理を作ってくれた。多分フォークとナイフの使い方も伯母に教わったのだと思う。
土曜日の夜は食べて飲んで好きなだけテレビを見て…お姫様気分だった。
母は末っ子の次女。
伯父は長男。
伯母は、その長男である伯父の妻だった。伯父より年上らしいが、年齢も家族のことも結婚の馴れ初めも…詳しいことは全く知らない。
それでも、
私にとっては、
第二の母だった。
私が結婚して母親になった頃聞かされたことだが、「私を養女に…」っと言う話もあったようだ。もちろん母が強く首を縦に振らなかったらしい。
その伯母が他界した。
葬儀など…全てのことは終わっていた。「伯母は、認知症になり、妹がいる北九州の老人ホームで生活していた」と…姉から聞いた。
とても悲しいことなのに…
その時、
私は涙ひとつ…出なかった。
誰よりも一番私を可愛がってくれたのに…あんなに…甘えて・・・優しくて…大好きな伯母だったのに・・。
涙が出なかった…。
思い出だけじゃ泣けないんだ!
一緒に過ごした・・・その…
夫婦であれ…
家族であれ…
その連れ添った過程が…
泣いて、怒った数だ。
悩んで…共に笑った数だ。
1日の中で気になった時間の長さだ!
子どもの頃は…
母の事が一番気になった。母のことが一番好きだった。
恋する年頃の時には…
私の心の半分以上を占領していたのは恋人だっただろう…。
そしてしばらくは…主人に夢中!
子どもができると…
子どものことで頭がいっぱい…!
仕事をしていても気になる。
私の頭の中を占領する時間やその大きさが…私の喜びそして、哀しみに比例する訳だ。
分からなかったけれど…
私の心は、こんなにも主人のことでいっぱいだったんだ。
生きていた時に気づけばよかった。
