絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

イケメンでイクメン!!

主人は、
イケメンだった。


そしてイクメンだった。
  (両方とも、死語かなぁ⁉︎)


娘は、1歳10ヶ月から地域にある保育園に通った。
毎日毎日の保育園への送りは、主人の役目だった。


保育園の迎えは、祖母(義母)の仕事になっていた。


休日の夕方の散歩もほぼ主人だった。虫取り網を持ち、肩から虫籠垂らして昆虫採集によく行った。(今でこそ、小さな小さな虫でも過剰反応するほど大嫌いなのに)二人手を繋いで、にこやかに家を出た。

当時は、大好きなパパの大きな手に
しっかり守られていたから…(嬉しそうにしている麦わら帽子を被った小さな娘が、可愛いかったなぁ。)
昆虫採集もなかなか楽しいものだったのだろう、


主人は、娘が中学生になる頃には、自慢のパパになっていた。


学校行事、参観日…積極的に参加した。


「娘◯◯ちゃんのお父さん、カッコいいよねー!」ってよく言われた。私も誇らしかった。


主人は、一人娘をそれは…それは愛した。


大学生になってからの教育費と娘の生活費は分担して払った。前期後期の授業料等…学校に関わるお金は、私の担当になった。


主人は、毎月の家賃と小遣いを送金していた。毎月いくら送金していたのか…私は今でも知らない。


しかし、面白い⁉︎ことに・・
死後発覚した事だが…
娘への送金は滞りなく収めていても、自分の小遣いには苦労したようだった。


 近所の店で「つけ」で買い物していたのだ(笑)。
「つけが利く」って…大したものだ!


告別式も終わってしばらく経って、近くのお店のおばさん(顔馴染み)が、
「申し訳ないけれど…」って請求書を持ってきた。


 10万円ぐらいあったかなぁ。


  驚いた!


  つけ!?って飲み屋だけじゃないの?


  何買ったの?って!


  平気でお金も払わず、よくお酒飲めたものだね!って!


生きていたら…
 文句の一つも二つも…言ってただろう。


 死んでしまったんじゃ… 
 文句も言えやしない!!


 それより…
 苦労したんだね。



 ありがとう・・・って…
 反対にお礼の言葉がでちゃうよ。
 笑っちゃいます!ね。


 生きている時は、すごく!すごく!
頑張ったんだ。
 パパとして!


 イケメンでイクメンだったあなた…


          ありがとう!!

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