人生一度だけの父との喧嘩
母(享年65)が亡くなった時、父は70歳だった。父は、それから7年間…独りで暮らした。友達も親戚も近くに姉夫婦もいた。しかも、大好きな海へ…船に乗り、イカにブリに…魚を捕りに行っていたので、遠くへ嫁いだ私は余り心配していなかった。
母が亡くなった年の夏、あっちゃんのコンビニがオープンだったこともあり、正直なところ私は自分の生活の事で必死だった。
母が亡くなってからも、母の日にはカーネーションを「母の名」で送った。
しかし…ある年、「母の日のカーネーションの花が届かない」と、お叱りの電話が来た。
・・その時…父は泣いていた。
父にとって、母は生きていたのだ。自分と同じ様に娘も、母の事を『いつも想い慕っている』と言う『証』が欲しかったんだ。
自分と同じ思いの娘がいることで
寂しさに耐え、自分が強くならなければ…と、生きていく理由を感じたかったに違いない。
その想いに私は、今になって気づかされた…。
母が、蜘蛛膜下出血で倒れ、意識もなく寝ているその…ベットの側で、事もあろうに私は父と大喧嘩をした。父は私の胸ぐらを掴んで怒りを露わにしていた。
「お母さんがこうなったのは、お父さんのせいよ!」
なんて…言ってしまった…
母が亡くなって一年と3ケ月を過ぎた頃、私達三姉妹のもとに父から川柳が届いた。
12年前も、きっと私はこの川柳を見て抱いて号泣したのだろう。
改めて…今…詠んでみた。
父が私達に求めていたこと
父が伝えたかったこと
父の心の全てが…
今…「分かった」・・・
「 テーブルの
妻の写真に
あじをきく 」
私が今…
父と同じことを・・・
