近づけない心
家に帰れば一人・・ ・・・だが、
スープが冷めない距離よりも、もっと近くにあっちゃんの両親が住んでいる。
あっちゃんが生きていた頃は・・
夕飯だけは皆で食べていた。(義母が食事の用意をしてくれた。)
共働きだったし、私の帰宅時間が遅かったので、とても有り難かった。
義父母にとって娘は、「たった一人の孫」だ。
家族揃っての夕食は、賑やかで、義父もあっちゃんもお酒をよく飲んだ。「休肝日」なんて全くなく、毎日2人で美味しそうに飲んでいた。(同じように飲んでいるのに、義父の肝臓は、元気そのもの・・・あっちゃんの肝臓は、いつから悲鳴を上げていたんだろう。)
しかし、あっちゃんがコンビニを始めてからは、勤務の時間もまちまちだし、食事時間が合わないので、その回数もしだいに減っていった。
まして、娘が進学のために家を離れてからは、食事はもちろん一緒に時間を過ごすことさえなくなっていった。
家は近くにあるのだが、なかなか・・・とうとう、今日の今日まで、心の距離が縮まることはなかった。多分私が、多重人格者だから。(6月27日のブログに掲載)
ただ・・・・、
あっちゃんが亡くなってからしばらくは、お互いの寂しさを埋めるためか毎日夕飯を一緒にした。
でも、やっぱり娘が嫁ぎ先に帰るとそれもすぐになくなった。
義父母は、2人で・・・・
私は、ひとりで・・・・
寂しいけれど、その方が楽だった。
私にとって、夫の実家は、「夫か娘を介しての場所」でしかなかった。
あっちゃんが永遠に居なくなった今、・・・
この場所にいる意味がないと考えるようになっていた。
あっちゃんが居るから、「ここは、私の居場所」だったし、あっちゃんが居るから、「この家の「嫁」」でもあった。
あっちゃんが居たから・・・・
そうだった。
でも、もうあっちゃんはいない。
ここには、
愛する人は誰もいない。
だから・・・やっぱり
愛する人が居る場所へ行こう。
裁判が終わったら・・・・・。
