自分に優しく…
私が、今こうしている瞬間も、はっきりと形に現れ存在する顕在意識「理性的なもの」と、表には現れない潜在意識(無意識)「本能的なもの」によってコントロールされ生きているのだとすれば…。
人は哀しくとも…
「理性的に…」
いつ…何時でも泣いていいものではなく…、ましてや人前では、その苦しみや哀しみを隠し「強く」あるように振る舞わなければならないのであって…
誰から教わったことだろう…。
知らず知らずのうちに、私の行動は、「心の本当」を隠し「心の嘘」を無意識のうちに表面化することが正しいことであり、美しいことなのだと信じ繕って生きている。
特にこの4年間はそうであった。
それは、そんなに難しいことではなかった。偽りの自分で生きていることの方が楽でもあった。
これから先もずっと私は、幸せを装って生き続けると思う。みんな…も…きっとそうなのだろう。
人には、人には言えない、見えない苦しみや悲しみが多かれ少なかれあるはずだから。
自分らしく生きているようで、本当は、「自然に心にブレーキがかかり…知らずまにコントロールされ「自分らしく生かされている」のだろう。
生きやすいように…
生きることが、自分らしく…と・・いうことなのだろう。
