「ありがとう」って言いたい。
孤独だけど・・・孤立ではないと思っていた。
でも・・・本当は完全に
孤立していた・・。
以前書いた文章を紐解いてみた。
あっちゃんが他界して5ヶ月を過ぎた頃・・私は、今までに感じたことがない孤独感を感じていたようだ。
今は、「孤独」であることが私に与えられた罰でもあり、運命なんだと諦めもついた。
ただ・・・、
それは「孤独」であって「孤立」ではないと思っていたからだ。
しかし、間違っていた。
私は確かに「孤立」していた。
この世の中から、今までの穏やかな人生の流れから取り残され、はじき飛ばされていた。
以前の文章にこんなフレーズがあった。
『 突然! 心が乱れる。
感情の縺れ・・と言うべきか。
感情の起伏が激しい。
あっちゃんの事を思い出すと、私の心のみなが「愛しい・恋しい・懐かしい」思いに占領される。
でも、少し経つと、心の中が空っぽになり虚しくなって・・・。
誰も分かってはくれないだろう。
私の生活は、姉や妹・・・全ての人と違ってしまったのではないだろうか。
このまま、生きていけるのか。と、いった「孤立感、疎外感」を感じてしまう。
すると、急に何もかもやる気がしなくなって塞ぎ込んでしまう。やっぱり私は病気かな。と、考えてしまう瞬間です。』
・・・・・と。
確かに、私の心のみなを分かる人はいなかった。
確かに、人と話さなくなった。
確かに、みんなと随分違ってきた。楽しい計画も、クリスマスもお正月も必要なくなった。
あっちゃんと一緒の未来が消えた。
私は完全に「孤立」した。
もしかしたら・・・
その「孤立」は、私自身が創ってしまったのかもしれない。
取り残されたのではなくて、自らその場に立ち止まってしまったのかも。
はじき飛ばされたのではなく、自分から逆らって、違う波に乗っていったのかも。
高く厚い壁を作り、自ら「孤立」を望んだのかもしれない。
いずれにせよ・・・
大勢の人達からも・・・
笑いあえる時からも・・・
誰もが持っている未来からも・・
私は完全に「孤立」した。
先生は、子どもによくこう言う。
「相手の立場になって考えて行動しなさい。自分だったら、そんな時どんな気持ちになる?」と、子どもに詰め寄り返答を求めようとする。
分かる訳!ないじゃない!
相手の気持ちなんて!
分かるはずがない・・・。
でもきっと 、
きっと・・・
私も言うだろうな。
キラキラした目を持った子ども達に
相手の気持ちに寄り添ってごらん!
100%理解出来なくても、話している人が涙を流したならば、その涙を見て、同じように涙が流れた時、きっと、 話をした人は、貴方に
「ありがとう」と言うよ。
少しでも分かってくれて
「ありがとう」って。

