肝硬変の末期
昨日…京都にいる義父の姉(93歳)と電話で話す機会があった。
「お孫さんの誕生おめでとう〜」から始まって、あっちゃんの話題になった。話す気分でもなかったし、話し出すと長くなるのも知っていたので、早めに切ろうと思っていると、娘の結婚式の話になった。そして、
「今だから…言うけれど・・・あっちゃんの顔を見て…この人…私より先に逝ってしまうんじゃないかって感じてたのよ。」
・・・だって・・
えっ!
なにぃ!
今?
死んでしまうかも…って思ったの?
もっと…早く言ってよ!
気になったら教えてよ!
言ってくれたら、間に合ったかもしれないじゃない。
あっちゃんは、娘の挙式後二ヶ月で他界した。
あの時…話してくれてたら・・
何かが変わったのだろうか。
何も変わってはいないだろう。
いずれにせよ、いい気分ではなかった。これだから…人と話すのは嫌なのよねぇ。心地よく私の心に入ってくる言葉なんてありゃしない。
挙式を控えた年(2014年)の夏頃から、あっちゃんは、ダイエットと禁酒をまた始めた。一番カッコいい花嫁の父を演じるために。
その甲斐あって、頬も少し削ぎ落とされ、まさか、腹水なんて思わないから…それでもお腹も少し引っ込み、夏に予約したタキシードのズボンが緩くなるまでになっていた。
禁酒して、病院へも点滴に通っていたので黄疸も薄くなり、私には絶好調の体調の様に見えた。
しかし…見る人が見ると、健康とはほど遠い面持ちだったのだろう。
言われてみれば、普段の明るさは無く…どことなく遠くを見つめている様にも見えた。
作り笑いが淋しさを物語っている様にも…。
お喋りなあっちゃんが、確かに静かだった。それは、花嫁の父だからではなく…体の調子が悪かったのかもしれない。
二次会も、注文した生ビールには、殆ど手をつけず、ホテルに帰ると、ベッドに潜り込み、次の日の昼まで眠ってた。何度起こしても起きなくて…
そうそう…起きた時の顔は、異常なほど浮腫んでいた。
もう肝硬変の末期だったのだ。
それを、あっちゃんは知っていたのだ。
だから、あっちゃんは、その日を境にまた…
お酒を飲み始めた…
死を…その時から覚悟していたのかもしれない。
すれ違いの生活の中で見落としてしまった沢山の事…
見て見ぬふりをした罪…
私の大きな救いようのない過ち。
私は一生…自分を許すことができないだろう。
後悔と闘いながら生きるしかない。
そんなに長くは…
生きなくていい。
早く…なるべく早く…
あっちゃんに会いたい。
