絶望の底から青い空を見て・・・

2014年12月31日
私の目を見て医師は、言った。
「24時間の命です。」
2015年1月20日最愛の夫は、死んでしまった。
死・借金・裏切り・崩壊・人間不信…
今、独り…目に見えない何かと闘いながら生きていく…。
逢いに逝けるその日まで…。

夫を亡くした年の私の年末 2015.12.28

今年の一文字は「安」だった。


「安保関連法案」が審議され、採決に国民の関心が高まったということで、安保の「安」とか、


異常気象やテロにより人々を「不安」にしたということで、「不安」の「安」とも…


また、安倍首相の「安」でもある。などと言われている。


所詮「今年の一文字を考える」とか、「今年はこうだった」とか・・来年は「こうなるだろう」などと考えること自体、幸せな人達のやることだ。


私にとって、


「安」という漢字が意味するものがあるとしたら、今年は「 安保の安」でも「不安の安」でもない。


まず、


①あっちゃん!私が逝くその日まで


「安らかに」お眠り下さい…の


「安」である。


また


②来年は、「安住の地」を考える


いう「安」でもある。




そして、


③これから…ずっと独りだけれど、


「安心」して過ごせるように…


様々な問題が早く解決してほし


いと願う 祈り を込めた「安」


である。


人は、


これからも1年の締め括りであったり、事あるごとに、自分自身を、生活を、社会全体を、「振り返ってみる」ことだろう。


次への目標決定のためにも「振り返る」という行為は必要なことだ。


しかし私は、この1年、何度も何度も振り返っては、 後ろばかりを見てきてしまった。


立ち止っては…哀しみ…哀しんでは、立ち止まり…


次の一歩がなかなか出ない。


後… 3日で今年が終わるのに…


(変わってないなぁ・・・今の私と…)

娘の気持ち…

 父親に抱かれている娘…


 一人娘の我が子のことが大好きで…


 女の子なのに・・・


 春はカエルを捕まえに行った。

 夏はカブト虫探しに連れ出した。

     そして、セミを捕まえた。


 秋になれば幼虫を見つけ、家で飼ってみせた。


 小学生になったら海へ行き、釣りにも付き合わせていた。


 女の子なのに・・・


 いつも自分の側におき、自分が好きなことを一緒になってやって楽しんだ。


 父親にとって娘は、特別な存在。


 娘にとっても父親は、憧れの存在(そんな時期がある。)

 父親の頼もしさに、もう少し甘えていたかっただろう。


 父親を亡くした娘の心を時々思い…哀しくなる。

一年の終わり,命の終わり…

 あの年の暮れは寒かった。

 雪が降った…。


 病室の窓ガラスから、徐々に積もりゆくその雪を・・・

 一面を白く…真っ白に、何もかもを隠していく雪を…ただぼんやりと眺めていた…。


 私の横には、24時間の余命宣告を受けたあっちゃんが携帯を触っていた…。いつもと変わらない表情で。


 自分の命が「今日で終わる」事を知らないで…。

 絶食…

 永遠に続きそうな点滴…

 水分規制…の為水も飲めず…

 尿の量を測る袋をベットの横に垂らして…


 それでも…


「死ぬ」なんて…考えるはずもなく、来年には、退院できることを信じて…


 しんしんと降る雪のように…


 そこには静かな時間が流れていた。


 でも…本当は私は、

 今にも大声で泣き出しそうで…どこにどうやって吐き出したらいいか分からない不安で…恐怖で…何とも言えない…気持ちがあって・・・。


 そんな時、九州から姉と妹が新幹線に乗って来てくれた…。

 12月31日に…。


 明日は元旦だよ・・・世間は!


 どれだけ心強かったか!


 その時のお礼…


  まだ言ってないような気がする…